つぶやき、その@ 『カリーなければ我が人生なし』

短時間料理はほとんどカリーを作ってしまう。
二日酔いでもぜったいカリー、コンビニに行ってもカレーパンだ。
あぶなそうな食堂なら安全パイで必ずカレー、とんかつ屋さんでもときどきかつカレー、蕎麦屋に行ったらカレー南蛮が手招きだ。
アウトドアでもやっぱりカレー、お正月でもなぜかカリー…。
そして…気が付いたら…
仕事をサボってスパイス調合、愛用の鍋で香辛料をロースト、締め切り間際に一昼夜のカリー仕込み。

何故だろう…不思議だ。と思いながら、頭の片隅にあるものを出力してみる…。

『カリーなければ我が人生なし』。
つぶやき、そのB 『カリーの歴史を歩いてみよう』

南アジアに生まれ、西洋の風に乗ってやってきたのだが、今では"世界に誇る国民食"。
この異なる二つの食文化は、文明開化という時代の潮流に巻き込まれ、「洋食」という摩訶不思議なジャンルの中で旋風となった。
あと十年も経てば、日本人がカリーに出合って150年だ。
当時の日本人はどう受けとめ、どう取り入れたのか? 如何にして我が国独特の「日本カレー」が生まれたか?

『カリーの歴史を歩いてみたい』。

フレッシュスパイスの発する力強い香りのように、仕事をほったらかしにするほどの好奇心が湧いてくる。
なになに…実に面白いではないか。

「和洋折衷メニュー考案は婦人雑誌だった!」
「国産カレー粉づくりへの奮闘!」
「福神漬けとラッキョウは何時登場したか!」
「カレー産業の巨人は薬問屋だった!」…

某公共放送の"ぷろじぇくとエックス"の域に達するドラマが、歴史の中で繰り広げられていた。
つぶやき、そのA
『日本のカレーは、日本人の文化加工能力の賜物』

日本人が初めて"カリー"に出合ったのは1863(文久3)年のこと。

尊皇攘夷の混乱の中、幕府の使節団がヨーロッパに出帆した。幕末の混乱の事態収拾のために、フランスのナポレオン三世の助力を請うための派遣だった。
渡航経由地で、同じ船にインド人たちが乗船した。彼らの食事の様子を見た使節団は、仰天するほどのカルチャーショックを受けたのである。
随行した一員の日誌には、「飯の上ヘ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻きまわして手づかみで食す。至って汚なき人物の物なり」という記録が残っている。

カリー好きには有名な歴史的エピソードである。

このような第一印象が記録されているのだが、140年の歳月が、私も愛し、貴方も愛する日本のカレー文化を育んだのだ。