州庵の小言甘辛放談



◆2005/01/24◆ 西部邁氏主幹の保守系月刊誌「発言者」が3月発売の最終号で廃刊
 M日新聞インターネット版によると、評論家・西部邁氏主幹の月刊オピニオン誌「発言者」(秀明出版会)が3月発売の最終号で廃刊になると伝えた。「発言者」は1994年創刊の保守系月刊誌で、2月発売の3月号は休刊し、3月に発売する号を最終に廃刊とするようだ。西部氏の事務所のコメントでは、財政上の理由で廃刊を決めたとのことで、今後は他の形でオピニオン誌の創刊を目指すという。
 実はこの雑誌を創刊号から購読してきた。「お主は、保守主義者のよしりんか!」と突っ込まれそうだが、私が西部邁氏に興味をもったのは、昭和天皇崩御に伴う某公共放送の昭和史の特番に西部氏が出演し、自虐的でもないバランスの取れた昭和史を総括した時点からだったと思う。育った環境でいろいろ違うが、父の戦争と軍隊経験の話を聞き、また、昭和史の議論を戦わせたことがある。この経験が私の思想に影響を与えたのは言うまでもない。西部氏のコメントはかなり概念的ではあったが何かフッと胸に落ち、以後、西部氏の著書を片っ端から読むことになる。
 当時、1980年代は「ポストモダン」などという言葉が流行し、我が県のどうしようもないT中康夫知事の友人・浅田彰や、森のバラック…いや失礼「森のバロック」の著者・中沢新一などにスポットライトが当たっていた。その頃、私は商業生産に乗った「思想の軽薄短小化」がもたらした傾向と考えていた。1980年代の消費ブームのなかで、「知」までもが手軽なファッションと化して売り出され、その結果、表層レベルの認識で「現在思想」を軽軽しく論評する若者が増えたと思っていたのだ。実際、その面影は、カタログ小説で当時デビューし、今日、知事となったT中康夫氏などにチラついている。
 実際、「森のバロック」を初め浅田彰の書も読んだが、ポストモダニティとは何となく似非科学「ニュー・サイエンス」に近いものなのではないか。彼らのスタイルを総括すれば、「人文科学」に直感的なレベルで「物理学系の理論」を導入するために起こる難解さということに尽きる。それが似非科学的なインチキな匂いを放ち、難解さを際立たせ、結果、その論理を無意味にしているように思える。
 しかしながら、ここにきてポストモダニティが認められつつあるようだ。1970年代以後の社会の変化を考えるときに、それまでの枠組で捉えられない諸現象は、社会学の対象として、一時の知的流行ではなかったのではないか…という。「高度消費社会」や「政治的対立軸における右翼―左翼の無効化」などがその一部で、1990年代の一連の地殻変動ともいえる、震災やオウム事件、社会主義国の崩壊や平成不況など、また米国911の現実に、戸惑い、今でもどう対処できるのか「思想」「哲学」が答えを出せず、ポストモダニティに振り子が戻りつつあるらしい。
 さて、脱線してしまったが、西部氏は当時、東京大学教養学部助教授から同学部教授になり、その中沢新一氏を東大教授に推薦して、教授会が紛糾。雑誌でも騒がれた「東大事件」だ。西部氏は大学教官という不気味な人々の生態を目の当たりにして1988年辞任する。5年という準備期間を経て、1994年に保守系月刊誌「発言者」を創刊したのだ。
 西部氏は1939年、北海道生れ。東京大学経済学部卒、横浜国立大学助教授などを経て、東京大学教養学部助教授、同学部教授。保守系評論家として活躍しているのはご存知だろう。
 最近の西部氏の活躍は、雑誌『発言者』の論調そのものと思える。政治改革を目的なき改悪として批判、規制緩和を無原則な秩序破壊運動に陥ったとして糾弾、無自覚なアメリカニズム受容が日本を衰弱させているとして論陣を張り、日本的組織運営を否定するのは日本産業の自殺行為であると警告、さらに日本人の国家意識・共同体意識の希薄化に警鐘をならしている。
 東大学生時代は、東大自治会委員長、全学連執行委員をつとめ、1960年の安保反対運動を指揮したという左翼だった。新古典派経済学を専攻したが、やがて徹底的な批判を行い、膨大な参考文献リストの付いた『ソシオ・エコノミクス』(1975年)において、近代経済学の「秩序だった解体」に試み着手する。『経済倫理学序説』(1983年、吉野作造賞受賞)、『ケインズ』(1983年)では、近代経済学の巨人・ケインズの両義的な肖像を描いた。
 この前後、アメリカとイギリスでの生活をきっかけに『蜃気楼の中へ』(1979年)で内面的な「反進歩への旅」が始まり、伝統や歴史を重視するイギリス保守思想に傾斜していった。
 明確に保守の立場に向うのは『大衆への反逆』(1983年)に収められた一連の論文で、これを読んだとき頭が覚醒しすぎて眠れなかったのを覚えている。この一冊から、現在もつづく大衆批判と知識人批判が始まったが、西部氏が展開するユニークな日本文化論の深さには、惹かれるものがある。日本の文化を、まず「開放的集団主義」と「相互的個人主義」の結合として解釈し、日本文化の二重性を解説している。また、「開放的集団主義」と「原子的個人主義」との結合のアメリカ文化に影響されやすく、西欧文化と旧ソ連文化とを比較しながら、日本文化が大衆社会を助長しやすい文化であると指摘している。
 西部氏の議論のテーマは時代を見越したものが多い。精密で射程距離も長く、鋭利さなければできないのである。また、漫画家・小林よしのり氏など様々な保守系表現者との交流が人柄を表しているような気がする。
 少々長くなったが、「発言者」の廃刊は寂しいものがあるが、今後、新しいオピニオン誌の創刊を楽しみにしている。


◆2005/01/17◆ 阪神淡路大震災…あの日から10年という月日が過ぎた
 今日は酒だけで静かに呑んでいる。西南西の方向を向いて。
 あの日から10年がたった。
 私の親戚、友人、知人、仕事仲間に10回目の黙祷をささげる。
 一つの節目として、私の関係者…いや、6000人以上の死者や被害の関係者に、逞しい人となり、自然災害の被災者として、自然なしぐさで語ることが出来る被災伝道師、また、防災意識の教育者になって頂きたいと願う。
 あの日、私の経験などは、所詮、旅人が遭遇した幻と思うしかない出来事。
 人々の叫びが木霊するあの日、何を体験し、何を思い、何を写し、何を考え、何の仕事して、その後何をしたか…。そして、あの日がなければ確実に神戸市か尼崎市に住んでいた。このような信州の暮らしはなかったのである。
 いつの日か、この甘辛日記にその物語を書く日が来るであろう。


◆2005/01/10◆ スマトラ沖地震巨大津波から2週間
 新年、おめでとう…と書きながら、今頃、何を言うか!のヤジが飛んできそうだが、昔なら大手を振って「松の内」なのである。「甘辛日記」と題したこのページの更新が滞った理由は、昨年12月中ごろから執筆していたS賀村の合併記念誌の歴史編に手を焼いていたからだ。
 その間、スマトラ沖地震巨大津波という大災害が起き2週間がたった。今なお被害者数が増え、最終的には20万人を超えるのだろうか。インド洋沿岸国を襲った巨大津波の被災地は、リゾート地が多く、邦人も含む外国人も巻き込まれる甚大な被害になった。そして、皮肉にも津波に無防備な街の地獄絵のような現場を、観光客が持ち込んだ観光記念撮影用のビデオやデジカメが捉えていた。放送というメディアの時代になって日本では80年、メディア時代最大の自然災害となった。国内では、あと一週間で阪神淡路大震災から10年の日を迎える。
 ところで、連日のニュースを見ていて、いくつか気になる点がある。
 1つは「津波」の解説で、「津は港。港に押し寄せる大波を津波という。そして地震国、日本の言葉が英語になった」だ。確かにその通り。しかしながら、これは日本が、大陸プレート同士がぶつかって沈み込む海溝(地震の巣)に沿って盛り上がった地震列島で、そこに住む人々は天変地異として地震、津波、火山活動など苦しい体験から、全てが関連している不思議な力を予感し、歴史に記録してきたからなのだ。また、自然と共生し人々の手が入った山の意味の「里山」という言葉があるが、この考え方を海に置き換えると「津」は「里海」のようなもの。その証拠に「津」のつく地名が古くから沢山ある。これは、海岸線に数多くの港と街があり、多くの人々が住んできた歴史そのもので、海岸線の独特の天災と海の恵みという自然表裏と付き合いながら暮らしてきた文化が「津波」という言葉を生み出した。このような我が国独特の「自然との一体感」の中で作られた「災害の概念」を、海外の国々に理解してもらうのは難しい。
 次に、地震や津波の専門化が「被災国は歴史上、津波の記録がほとんどない。あっても300年以上前だ」と指摘しているが、本当にそうなのだろうか?既に指摘したとおり「津波」の概念がない国々に津波の記録が少ないのは当たり前だ。だが、「大波」や「一瞬にして街が水没した」などの宗教上の記録はあるのではないだろうか。インドからタイ、インドネシアなどの国々は文化人類学では「宗教のクロスロード」と呼ばれる。実際に、ゾロアスター教、ジャイナ教、仏教、ヒンドゥ教など様々な宗教が生まれ進化した地域だ。アニミズムや原始宗教は自然災害が多いところに生まれる。インド半島の北部やスマトラ付近は古くから地震が多かったのである。宗教上の記録、また、神話、伝承、言い伝えなどを災害史と宗教の専門家が協力しながら調査する必要がある。
 ところで皆さんは「防災センター」という施設をご存知だろうか。20年ほど前、東海地震に備え整備され始めた施設で、災害時の統括指令本部となり、非常備蓄倉庫、災害・防災に関する体験学習施設から成る。体験学習施設では、自然災害を学び、地震や津波・暴風雨などをシミュレーションで体験し、火災の消火や煙の中を非難する訓練ができ、被害を最小にする手立てや心得、日々の防災対策などを学習する。私は文化施設プランナーとして、この防災センターのプロジェクトにコンテンツ・プロデューサーやプランニング・ディレクターなどとしてかかわってきた。西から熊本市、広島市、兵庫県(神戸市)、尼崎市、名古屋市、静岡県、富山市、千葉県などの数々の市立や県立の防災センターを担当し、市民や自治会の自主防災組織、企業や事業所などの担当者の研修に役立つように体験学習の空間を作ってきた。しかし、地震災害のニュースを見ると本当に人間の力の無さを感じ、また、これまで作ってきた防災センターが役に立っているのか…と自己嫌悪に陥る。防災センターがあっても一部の市民しか利用せず、その存在も知られていないのだろう。一昔前のコンテンツかもしれないが長野市にも防災センターがある。時間を作り、自然災害や防災について勉強しては如何だろうか。


◆2004/12/10◆ 真田町長リコール不成立・12月真田町議会
 この日記で追ってきた「真田町長リコール問題」は、5日の開票で「不成立」となった。S濃毎日新聞やTVニュースの報道で既にご存知と思う。即日開票の結果、解職に「反対」が3,713票(有効票の52.19%)で、「賛成」の3,401票(同47.81%)を上回り、投票率は77.98%だった。
 7日のS濃毎日新聞によると、真田町H山好猷町長の会見では、上田市域の合併推進の立場をあらためて強調、合併賛否の住民投票を来年2月の第1日曜日(6日)に行うと表明したという。解職賛成の3,401票は「重く受け止める」とし、今後のまちづくりに向け積極的に議論の場を提供、町内融和を重視する意向を示し、町長は、投票結果を「合併を抱える町のかじ取りに全力で取り組めという民意の結集」と解釈したと述べたようである。
 さて、この甘辛日記では3月から町長リコールを追ってきた。今回の騒ぎを総括するのは難しいが、「現町長を押した選挙民の内紛」、「前回町長選の亡霊」、「不測の事態発生」といえるのだろう。
 リコール派のコアな部隊は前回の町長選では元町長派で、現町長が慎重に合併を進めると思って投票した皆さんだった。彼らは、現町長は元警察官という経歴なので、そのところを信用し、正しい手続きで合併を進めると思ったのだろうが、表面的には超保守的な「現役神主」というO森氏と結果的に手を組む。2回の住民投票直接請求を現町長に拒否されたリコール派コア部隊は、前回町長選の対抗馬O森氏を担ぎ出したのだ。
 この時点で、町長リコール住民投票の請求署名数が担保されたが、しかしまた、町長派組織が引き締まり、実質的な「町長選」となってしまった。O森氏は前回選挙のネットワークを使い、町長リコール住民投票の請求署名数の約1/3を集め、解職請求した「真田町の民主主義を守る会」全体では町内有権者の39%の署名を集めた。
 選挙管理委員会は解職の賛否を問う住民投票を11月15日(月)に告示、12月5日(日)投票と決定、両派は住民投票の遊説活動に突入する。
 解職請求した「真田町の民主主義を守る会」は午前9時から午後6時まで、車3台で全域を遊説。町長の資質や合併推進の手法に疑問を投げかけ「自由に発言でき、町民の意見が尊重される町をつくろう」と訴え、手分けして、スーパー駐車場での演説や電話での呼びかけを展開。その後、不測の事態が起こる。以前から胃痛を訴えていたO森氏が検査入院。そのまま入院してしまう。町長派が出すであろう「風評」に対抗するため、病床で筆を執り有権者に「決起の手紙」を書き、病院から応援した。
 町長を支援する「真田町を守り発展させる会」は午前7時から、上田市との境の幹線道路沿いに「解職反対」の看板を立て、複数の運動員が通行車にあいさつ。午前9時すぎには町長も合流して車3台で遊説へ。「本当の民主主義を守るため、力を貸してください」などと解職反対を展開したのである。
 <真田町長リコール住民投票結果>
 反対3,713票(52.19%) 賛成3,401票(47.81%) ※%は有効票に占める比率
 無効120票 投票率77.98% 有権者数9,277人(男4,516人、女4,761人)

 どうだろうか。312票差で有効票に占める比率は4.38%である。どうみても「圧勝」とはいえない差である。見方によっては、真田町長リコールにおいても賛否を2分してしまったといっても過言ではない。
 ところがなのだ。昨日の9日、真田町議会が開会したが、H山好猷町長の所信表明では「私の町政運営を大多数の皆様に信任いただいた」と演説。会期中に来年2月第1日曜日の住民投票条例案を提出することを述べ、解職賛成の3,401票の事実には触れず仕舞い。この謙虚さの欠如には驚き、町が二分されたまま合併へと進んでいくような気がする。


◆2004/11/29◆ 新潟県中越地震から一ヶ月が経過
 先日、(26日)ようやく政府が新潟県中越地震を激甚災害指定にすることを閣議決定した。被災地域は豪雪地帯で、これから本格的な冬のシーズンとなり、被災家屋の倒壊など2次災害が予測され、被災者の支援がどのようになるか分からない。
 最終的な被害額が固まるのは先のことだが、被害の規模や実態からみて、政府あげての財政支援が不可欠と判断したのは当たり前だろう。被害額の確定を待たずに激甚災害に指定されるのは95年の阪神大震災に続き2例目となった。
 激甚災害に指定されると、河川や道路などの公共施設の復旧・復興事業などに対する政府の補助率が1〜2割程度上がるのである。
 しかしながら、新潟県が試算した被害総額によると、インフラ関係1兆2000億円、住宅7000億円、農林水産関係4000億円、ライフライン1000億円、商工関係3000億円――など計3兆円に上る。また、先に指摘したがこれからの2次災害をどのように支援するか問題が残っており、新潟県は、さらに国の財政支援を増やす「特別立法」の制定を求めているのである。
 一方、同地震の復旧・復興を目指す政府の第1回支援会議が24日、東京・霞が関で開かれたという。新潟県が政府に提出した「特別立法」の要望書について、関係省庁が県と調整しながら支援策をとりまとめることを決定したという。
 災害は地域の特徴と生活、経済活動によって異なり、生活文化で土地へのこだわりが変わってくる。豪雪地山間部の地震災害であり、阪神大震災の都市直下型地震災害とは違う。支援範囲がどこで線引きされるのか…今後を見守りたい。
 阪神大震災を大阪で経験し、その後を見守ってきた者として…被災された皆さんに一言申し上げたい。必ず復興するので夢を捨てないで頂きたい。


◆2004/11/14◆ 出張日誌。国際キルトウィーク2004横浜
 アメリカの大統領選挙、アラファト議長の死去、日本領海を侵犯した中国潜水艦…などなど、時事ネタ日記を書かねば…と数日空いてしまった。時事ネタとなると、どうも「激辛日記」になるので、本来の「甘辛日記」に戻さねば…と思い、先週から東京と横浜に出張していたので、その出張雑記を書くか…とキーボードに向う。ところで、朝刊のヘッドラインは紀宮さまのご婚約内定という朗報。新潟県中越地震などで暗い日本列島だが、実に嬉しいニュースである。
 さて、ここ数ヶ月、知人S藤隆平氏の仕事を手伝っている。S藤隆平氏は、上田の洋裁手芸材料専門店の2代目オーナーで、コンテンポラリーキルター(キルト作家)という肩書きを持ち、新宿K王百貨店のカルチャー教室で講師を務め、週の数日は東京住まい。また、上田ではマンション経営の屈指の事業家であり、さまざまな顔を持っている方だ(依頼を受け私が制作したホームページはこちら)。兄の高校時代の親友で、30年ほど前から面識があった。深くお付き合いもせず、互いに風の噂で知る程度だったが、再会したら、楽しく気さくでありながらも鋭い時代の把握力を持っておられ、私が思うところ上田で一二の論客…と見ている。
 今回の出張はS藤隆平氏と東京で合流し、彼のマンション開発のヒント探しやショップのホームページのコンテンツ用に、さまざまな彼の仕事を取材するという出張だった。いつもの東京出張では、広告代理店や建設コンサルタントなどとの往復で、銀座、新宿、品川などと決まっている。しかし、今回は、東京・馬喰町・赤坂・横浜・戸塚などを巡る取材なのだ。
 呑みすぎた翌日の朝、無理やり起きてコーヒーを淹れ喉に流し込む。上田駅は新幹線のパーク&ライドなので早く行かねば…と思いつつも、頭の回転が上がらず、ようやく上田駅に着く。持っていた時刻表を見ながら歩いていたら、私の予定したスケジュールに意表をつくようにベルが鳴る。あわてて階段を上ればアサマが入線。中越地震の影響かと調べれば、単に私のダイヤが古かっただけ…。あ〜ぁ。春のように温かい曇天…しとしと雨が降っている…。
 10時過ぎに東京駅に着き、集合場所の馬喰町駅に向う。到着とともに携帯電話が鳴って、長野のコンサルの相談に乗る。また、電話だと思ったらS藤隆平氏からの連絡で、東京駅八重洲口の再開発プロジェクトの空間を見よう…と、集合場所が東京駅に変更となり、馬喰町からとんぼ返り。M善がメインテナントの某ビルの中で、懐かしい洋食屋をS藤隆平氏とともに見つけ、ちょっと早い昼食を済ませる。某ビルの床にはマンホールのような意味不明の意匠があちこちにある。吹き抜け空間とガラスウォールはオシャレだが、何か中途半端な空間が展開する。S藤隆平氏とのやり取り。「バブル時代は否定されがちだか、当時の設計は良いものがあった。建築を文化と考えれば、ある意味、フェアな評価をしないといけないのでは…」と。
 東京から浅草橋に移動し、馬喰町のコットン・ホームウェア・メーカーへと向う。ホームページ用に社員さんをモデルにホームウェアを何点か撮影。この業界はバブル以降、半端じゃないほど厳しいと聞く。幾多の困難を越えたというスタッフは、アットホームでありながらも江戸っ子の意地を感じる。馬喰町には、以前、知人のディスプレイ・デザイナーの事務所があったため良く通った。時には泊り込んで仕事をしていたので懐かしく歩くが、当時とそんなに変わらないのが嬉しい。
 S藤隆平氏が作品を出品している赤坂のギャラリーへと向う。ハンドクラフト作家・T内美佐子女史が代表で、押し花、編み物、刺しゅう・キルト、アクセサリー、和紙工芸などジャンルを超えた作家たちのグループによる展覧会だ。T内美佐子女史とは上田でS藤隆平氏とともに数回、会食しているが、バイタリティーと明快な語り口の素敵な方だ。この街にも思い出がある。学生時代、モデルスカウトと養成のバイトをしていたのだが、原宿でスカウトした子が、翌々年、当時のT亜国内航空のキャンペーンガールとなった。この界隈の居酒屋の娘だったのでよく呑みに来たのだ。当然ながら20年以上前の話。店はずいぶん以前に移転したと風のうわさを聞いたが、元気だろうか…懐かしい。赤坂駅からギャラリーまで歩くが、パチンコ屋が数店オープンと…ここは激変している。
 赤坂のぎゃらりーO川で開催されている「ハンドクラフト展」は今年で7回目。毎年、11月の第2週に開催し、S藤隆平氏がディスプレイ・コーディネイトをしている。楽しい雰囲気のディスプレイに彼のセンスを見出す。T内美佐子女史とスタッフと歓談の後、横浜へと移動する。
 横浜みなと未来21で開催している「国際キルトウイーク2004」に向うのである。そして、キルト作家集団「えおりグループ」のT橋絵織先生を取材する。S藤隆平氏の師匠だ。名実ともに我が国を代表するキルターで、実に優雅な雰囲気のある先生だった。会場では、T橋絵織先生の作品、S藤隆平氏が参加したビックキルト、そして、1番興味を持っていたマルセイユのアンティーク・キルト・コレクション(18〜19世紀)を見て感激する。
 その夜、中華街で「えおりグループ」の大酒宴の取材だったのだが…ゲストになってしまう。なぜかスピーチを頼まれ、即興でマルセイユのアンティークキルトを見た感想から「出島や幕末維新に伝えられているはず。そのキルトはどこにあるのか…その履歴を明らかにし体系化すれば、我が国のキルトの黎明期が埋まる。アンティークの新しい研究分野を見つけた」が、なぜか大うけする。
 酒宴はカラオケ大会へと進み、完璧な宴会部長に徹するS藤隆平氏のサービス精神に脱帽。業界メディアのKルト通信社、Bラザーミシン、Cロバーなどのトップから「隆平さん」と呼ばれ、マダム作家たちから「女性集団の黒一点の宴会部長」と慕われ、S藤隆平氏の新たな一面を知る。彼を見ていたら、私も何かせねば…と自然に動いてしまい、「爆笑集合写真」や「爆笑激写」という隠し芸で参加。そういえば、兄のグループでも笑いの雰囲気を醸し出す存在だったような気がする。
 それにしても、門外不出のマルセイユのアンティーク・キルト・コレクションにはビックリした。世界一美しいホワイト・キルトと呼ばれているという。繊細で緻密な文様は、組合のような組織が何年もかけて製作している。その家の女性たちが2〜3世紀の間、代々受け継いだペチコートなどは、息を呑む美しさだった。キルト素人の私だったが、今では虜となっている。すごい文化を目の当たりにした。こんなに素晴らしい機会を頂き、勉強ができたことに、S藤隆平氏に心から感謝申し上げる。


◆2004/10/31◆ 「テロ」の語源は「テロル=恐怖」
 ついにイラクで邦人1人が殺害された。福岡県のK田証生さん(24)に哀悼の意を表す。犯行グループは日本政府に交渉の余地を与えず、予告通り48時間後に「処刑」したのである。この春からイラクの武装集団が自衛隊撤退を求め、邦人拘束という事態が起きていたが今回は最悪の結果となった。
 K田さんのイラク入国が無謀だったことは否めないものの、政府は「テロには屈しない」との姿勢を堅持しつつ、救出に全力を挙げてきたが、事件は日本が「有力な親米国」として標的になる構図を映し出したのである。
 先ほど行われた首相会見で、「残念です」を繰り返し、「憤りを感じる」とK泉首相は怒りを表していた。が、何か淡々とした表情なのは私の気のせいか…。記者からの質問で「犯行グループの武装集団は確認したのか」に対し、首相は「政府は犯人グループを確認していない」と返すのみである。報道された日本時間27日未明のインターネット・ウエブサイトの声明では、アルカイダ系の武装勢力「イラクの聖戦アルカイダ組織」であることは確実のはずだ。
 同グループは「反占領」を掲げ、最近は日本を明確に攻撃対象にしており、今月中旬には、バグダッドの日本大使館が襲撃の対象になる可能性が高いとの情報が米軍から政府に寄せられていたという。グループ側の狙いは「自衛隊撤退を求めて親米有力国の日本を揺さぶる」ことなのである。また、今回の事件以前に犯行を認めたものに限っても、米国を支援する各国を標的に14件の拉致事件を起こし、16人を処刑している。
 ところで、私は「イラク戦争」を米国が強引にはじめた侵略戦争と考えている。また、我が国の政府の判断も「親米ポチ」と断言している。いろいろ考察しなければならない論点があるが、基本的に違和感を持つのは、憲法を根本的に見直さずに自衛隊を派兵したことだ。これらのことは既に過去の日記で述べている。
 さて、ここ一年の報道を見ていて、あえて異論を申し上げる。それは、政府が使う「言葉」であり、数点ほど指摘したい。
 まず、「テロ」の語源「テロル」は「恐怖・暴力」であるので、イラク国民から見れば、侵略してきた米軍も「恐怖・暴力」であり「テロ」組織である。「テロ」を多用するのは如何なものか。もっと正しく使うべきである。
 次に、当然なことだがいまだイラクは「有時」である。米国占領軍と占領軍によって作られたイラク暫定政府を認めない組織が存在し、米国や政府を相手に戦闘が続いているからである。
 そして、イラク国外から入ってきたアルカイダ系武装勢力「イラクの聖戦アルカイダ組織」といえども、支持するイラク国民がいることは事実だ。彼らはイラク国内では「テロ組織」でなく、「レジスタンス」に部類するはずである。
 また、親米国家・日本は敵国であるので、彼らのいうとおり「日本人処刑」なのである。「惨殺」「殺害」という言葉は適切ではないのであろう。
 最後に、我が国の無邪気な若者に進言する。今後、イラクには絶対入国してはならない。一族郎党が悲しむ事態にしかならないからだ。


◆2004/10/20◆ 民主主義の大いなる実験国家「アメリカ」
 さて、久々に海外ネタである。アメリカ大統領選挙があと一月を切った。ブッシュとケリーのTV討論の有権者調査では、フィフティー・フィフティーのようである。マイケル・ムーア監督が作ったブッシュ大統領批判の映画「華氏911」が、両候補の差を縮めたのはご存知の通りである。
 ところで、この映画が話題になる直前の7月の頭、トンデモナイニュースが飛び交ったのを覚えておいでだろうか。アメリカ連邦議会下院の民主党議員9人が、国連のアナン事務総長に対し、11月2日の大統領選挙に際して国連が選挙監視団をアメリカに派遣してほしいと頼んだのである。これに対し、国連はアメリカ政府による公式な要請が必要と応え、共和党・ブッシュ政権も「不正集計の準備」の嫌疑がかかるのを恐れ、頼み込んでしまった。なぜなら、4年前の悪夢、ブッシュ対ゴアの争いにおいて、フロリダ州の開票が目も当てられぬムチャクチャな状態になり、今なお、「あれはブッシュ陣営の策謀だ」との噂が絶えないからである。
 当然ながら、国連のアナン事務総長は、選挙監視団の派遣要請を断ったが、その理由は、アメリカとの要らぬ対立を防ぐことと、アメリカの選挙をめぐっては他にも、コンピューターを使った投票マシンが簡単に不正投票できてしまう件などの情報を国連が持っているからと思われる。結局、国連が入ったところでアメリカの民主主義の自滅行為は是正されるものではない、と考えたのであろう。
 しかしながら、こんな滅茶苦茶な話があるのだろうか?このニュースの後、国内でどのような論評が出るか…楽しみに静観していたが、誰も基本的な視点で書いていない…これには情けない。唯一、月刊「発言者」10月号に私とほぼ同じ考えの論評があった。いわなくても分かると思うが、民主主義的な手続きにおいて一人前から程遠い国家だけが国際機関に選挙監視を要請するのである。こんな当たり前の理論から見れば、これはアメリカにとってこの上なく「恥さらし」の事態なのだが、ブッシュ政権は世界に恥をさらしても嫌疑を晴らそうと必死なのだ。それにしても、愚かな挙に出たとしか思えない。
 この摩訶不思議な事態は、結果的に選挙民が愚かであることを証明するのではないか。それは、一つにこの事態が恥と思っていないか、また、二つにそもそも世界の評価などは眼中にないか、ということだからだ。いずれにせよ、トンデモナイ選挙民であり、勝つか負けるかの結果のみにしか関心がいっておらず、国家首長の選挙においても不正が横行すると信じている(実際に行われているのだろう…)のである。
 このような国だからこそ「イラク民主化」をかざして自己の侵略を正当化するのか…と感じてしまっても仕方がない。どう考えても、その前に「アメリカは民主化が必要です」と、国連に大統領選の監視をお願いする必要があるのではないか。そんな国に引きずられている英国や日本はいうに及ばす、これらの国々の我侭を許している国際社会も現代史に恥を刻んでいるのである。
 とはいうものの、国家であろうが村であろうが政治は白熱化してくると、最前線において恥や外聞はむろんのこと、モラルもルールも失うものである。以前にも、この町のリコール問題で「民主主義」を考察し、また、T中知事の県政を見れば分かると思うが…。その意味では民主主義とは「多数派が少数派を排除する仕掛けであり手続き」のこと、とアメリカの選挙民がわきまえている。その仕掛けを作動させるときは、場合によって、不正や恥をさらしても甘受することもある…。アメリカン・デモクラシーの正体なのだろう。こう考えると我が国の民主主義は「多数決」に「排除の理論」を見出さず、逆に「真理は多数派に宿る」と思い込んで(2回目選挙後の知事の錯覚と同じ)おり、「右向け右」となる。日本型デモクラシーはかなり「幼稚」といえないだろうか。少々、脳天気な民主主義だ。「もし真理があるとすれば、一般民より様々な努力を要しなければ見つけ出せない」とみるのが良識ある思想である。ならば「真理は、もしあるとすれば、少数派に宿る」のではないだろうか。


◆2004/10/09◆ 山暮らしの家を探すための基本的な視点
 我がアトリエは上信越自動車道上田菅平インターから、国道144号を北上して真田町に入り、菅平高原の入口の信号「菅平口」の手前の集落・大日向にある(参照/真田町Map)。
 大日向付近の現在の国道は、その昔の大日向バイパスだ。国道を上田方面から上ってくると、大日向の入口に旧道との二股がある。旧道は一級河川の神川沿いに延び、散歩をすれば分かるかと思うが、橋の形状や川床、護岸、民家の石垣を観察すると、過去、川の氾濫があったことを物語っている。上流4`付近には多目的ダム(治水、発電、上水道など)の菅平ダムがある。
 その二股から旧道に入り、1本目の小さな橋を渡って坂を上った高台に佇む古民家(参照/アトリエのある大日向・アトリエ探訪)で仕事をしている。このホームページもここから発信しているのだ。信州に帰る前、この真田町以外に中条村や佐久市などの古民家も探したが、神川で岩魚釣りが楽しめる…と思い、また、大家さんも知り合いだったのでここに決めた。山の中の家を探すとき、第一に自然災害の危険性を判断する。高台にあり、背後の山にも沢がないので、川の氾濫の被害や土石流はないだろうと考えている。
 引っ越してきて、隣近所の方に過去の自然災害を聞いたが、「菅平ダムができるまで川の氾濫で、家や橋が流され恐ろしかった」との話であった。
 台風が来ると毎回のことだが徹夜となる。実際、平成13年の台風15号では、菅平ダムの放水調整のため災害は無かったが、長時間の豪雨で神川が増水し警戒水位を超えた。消防団も出動、土嚢を積んで24時間体制の見張り。大きな岩が地鳴りと共に川を流れていく光景には、さすがに驚き、倒木や巨岩が橋を壊すかもしれない…と心配し、車を国道側の高台に移動させ、徹夜の警戒をしたのである。その翌日、こんな話を聞いた。「岩が音を立てるときよりも、音が無いときの方が怖い。巨岩が浮いてしまうほどの水量だから」と。
 数日前、仕事で長野市へ出向いた。長野市内へ行くコースは、菅平へ上ってから保科への峠を下るのが最短コースである。菅平ダムの横を走るが、毎回、観察をすることにしている。この日、菅平ダムはほぼ空の状態だった。空のときは、数日後に本格的な雨が降る。今回は台風を見越した対応のようだ。
 大型の台風22号の動きを2日前から注目してきた。どうやら直撃のようである。昨夜から状況を見守っているが、一本しかない小さな橋が心配だ。
 今年は風水害、噴火、地震などの自然災害の当たり年である。さらに、我が県は「脱ダム宣言」とかいうガラクタ政策のために、ここ数年、自然災害対策が滞っている。しかも宣言したT中康夫知事は、山火事だろうが噴火だろうが、そそくさと海外へ行かれたり、東京方面へアルバイトに行くような御仁。この県においては、日々の防災意識を更にハイテンションにし、暫く我慢するしかない。
 大型河川の近所の方々、十分、注意していただきたい。


◆2004/09/29◆ 真田町の町長リコール・レポート「民主主義と傲慢」
 自分の思想信条をできる限りフレキシブルに解釈し、かなり拡大した許容範囲の中で、中立な立場を保ちながら、ここ1年の合併反対派・慎重派と推進派の攻防を見守り、必要最小限の活動をしてきた。そして、手続き上、傲慢な姿勢を正さなかった合併推進派・現H山町長派に対し、署名という行動を起こした。結果、町長リコール派のリコール住民投票請求署名活動が成功し、ここ数日で選管が認定する。
 今回の署名活動の成功で、リコール派が住民の自治参加に自信を持ったのは事実だ。しかし、その「光と影」が、チラホラし始めたのだ。H山町長のリコール署名活動が終わって4週間近くになるが、「なかなか困った」というような場面に遭遇したり、「おいおい」という会話に巻き込まれたりしている。残念ながらリコール派の自信が、町長が今回の事態を招いた姿勢「傲慢」と、同じようになりつつあるようだ。このことに、かなり疲れ、今後の展開が心配なのである。
 本日のS濃毎日新聞をお読みの方は、我が町のこの問題に関する記事が出ていたので、ご存知かと思うが、リコール派が選管にまで「噛み付いた」のだ。
 その内容は「過去二回否決された合併賛否住民投票直接請求の署名の認定作業では、電話確認だった。今回は、疑いのある署名に対し郵送で質問状を出している。なぜか?署名者に説明もせず郵送すれば、受け取った側が混乱する。よって抗議する」というもの。電話と文書という確認作業の違いは、郵送の公文書により、署名者の住所地に文書で確認し、文字として残さなければならないほどの、重たい署名であるということ。そのくらいのことはリコール派も理解できるだろう。選管のコメントは「有権者に不信感を抱かれたことは残念だが、職務を果たしたい」であった。何でもかんでも噛み付く姿は、如何なものか。
 過去二回にわたって合併賛否住民投票直接請求が否決され、その怒りが今回のリコール署名活動成功のエネルギーになったのは理解できる。が、合併賛否の住民投票直接請求署名と町長リコール住民投票請求署名は、「一緒ではない」ということが分からないのか?前者は「合併という政策」に対する住民参加であり、後者は「町長の首」を取るという民主主義の最悪の手段を使った住民参加である。
 首長のリコールとは、選挙で選ばれた議会を飛び越して、選挙で当選した地域の大統領の首を取るのである。しかも、リコール派の殆どは、現体制に投票していたのだ。自分たちの過去の行動の甘さを正しく認識した上でのH山町長リコール署名活動ではなかったのか?と、思うのは私だけだろうか…。
 その上、町長リコールの住民投票必要署名数は、必要数を超えることが分かっていて、ここ数日で確実に選管が認定するのである。もっと、大人になって物事を分別し、粛々と活動を続けることができないのだろうか。
 この動きの前だから、かなり昔の話だが、ある人物からリコール派の会の名称が「真田町の民主主義を守る会」と聞いて、少々、危険を感じたのだ。なぜなら、「民主主義」は「手続き」であり、「数」が物をいう。その手続きと数は、人々の良識や品性を麻痺させ、傲慢にさせる一面を持っているのである。そのことを、よく認識していないと、「民主主義」という言葉に飲み込まれ、町長と同じレベルの「傲慢」になってしまうのではないだろうか。


◆2004/09/23◆ 毛無峠の小串鉱山跡に踏み込んだ
 数日前、我が町の振興公社の食文化体験施設に勤める呑み仲間のH場氏から電話が入る。彼から連絡があるときは、たいてい彼の休日で、「温泉に行って蕎麦食べんか?」の誘いだ。
 ここ一月、公私共々いろいろあって、さすがに疲れていた。ありがたや…気分転換にピッタリ…。本当に願ったり叶ったり。というより、そんな呑み仲間を案じてのことか?いやいや、そんなに甘い奴じゃない。
 今回の温泉探訪は菅平の四阿山を中心に、須坂市、高山村、志賀高原、万座、嬬恋と周回コースを見つけ、その沿線で「蕎麦を味わい温泉楽しむ」と決め、愛車サファリに乗って昼前に出発。
 須坂から高山村に入り、奥山田温泉の露天風呂に浸かる。北アルプスのパノラマを眺めながら心の洗濯となり気分は最高。露天風呂の宿の山田牧場から、笠ケ岳の裾野を抜ける笠ケ岳峠を通り、志賀高原の熊の湯方面へ向かう。そして、横手山から白根山を目指して山田峠を抜け、万座まで出た。万座ハイウェイで万座鹿沢へ下ろうと料金表を見ると1020円。1000円あれば酒が買える…との話になり、地図を眺める。群馬県道466号上信スカイラインという舗装の林道を走って御飯岳を目指し、長野県に入って長野県道112号大前須坂線を老ノ倉山へと向かい、そこから破風山(1999m)方面の毛無峠へ出れば、嬬恋村の大前に下ることができるだろう…と地図を読み、上信越国立公園の原生林を進む。
 毛無峠は破風山の東、標高1800m付近を通る。パノラマが最高だ。土鍋山、浅間山の山容が素晴らしい…が、あれよあれよガスってしまう。峠道は下りのダートコースとなり、入口にはポール。「一般者走行禁止」また、「地蔵へお参りする方はくれぐれも注意して走行してください」との看板。おかしい…。長野県道112号は「大前須坂線」という名称で、この大前はどう考えても嬬恋村の大前のはずだ。地図を見ても林道と登山道などが国道144号まで導いている。ところが、どうみてもA級ラリーライセンスが必要なダートコースは路肩が崩れ、落石がそこらじゅうにある。不毛な砂山を九十九折に下っていくと鉱山跡だ。
 アトリエに帰り、ガイドブックを調べるが、どこにも載っていない。インターネットで調べると林道マニア垂涎の場所で、穴場中の穴場だった。
 鉱山跡の名は「小串鉱山」。廃墟が一つ見えたが、かつて3万人が働いていた日本で2番目に大きな硫黄鉱山だった。昭和12年、山津波が発生し壊滅的な打撃を受け、200人以上の死者を出し、閉山となった悲壮な歴史を持っていたのである。
 県道の謎の合点がいった。日本有数の硫黄鉱山が最盛期の頃、長野県道112号大前須坂線は生きていたのである。昭和初期まで。
 何に惹かれたのか分からないが、急峻な砂山は日々崩落を続け、妙に新しい地蔵と慰霊碑が佇んでいた。うぅーん。何だろう…。ここ一月、かなり凹んでいたのだが、まだまだ何か試練があるのだろうか…。
 ところで、今週の一枚に「毛無峠から見る小串鉱山跡」と題しUPしている。感心のある方は見て頂きたい。


◆2004/09/08◆ 真田町町長リコール住民投票が成立する
 他の話題で日記を書きたいのだが、例によって、真田町のH山町長リコール請求署名にまで発展した我が町の市町村合併問題リポートの速報である。
 最終的に町長リコール請求署名活動の署名数は、3100少しという成立ラインを突破し、予想以上の3800を超えた数字だった。S濃毎日新聞2〜3面の総合面で報道されているのでご存知と思う。町民有志の「合併を考えるネットワーク・真田」、この組織から発展した「真田町の民主主義を守る会」が小躍りして喜んでいる姿が想像できる。しかし、相手陣営も優秀な人材がいる。安心していていいのか…と構える必要がある。
 ところで、署名活動の最終日は5日、その翌日の6日から真田町9月議会が始まっている。私が応援しているS口光議員と4日、5日の両日、勉強会を開いた。一般質問の内容の検討と、今回の議会対応である。13日に一般質問があるが、S口光議員の一般質問は、@リコール署名に対する圧力行為について(各組織・団体の圧力。違法ではないが、明らかに町長派の極端な防戦運動に対する道義的な追求)A中立な立場にいなければならない議長の異常な行為について(「リコール請求に対する私たちの考え方」と題した、リコール防戦チラシの原稿を書いたと新聞にコメントした「真田町議会議員有志13名(町長派・与党)」のリーダーである議長への質問。やはり道義的な追求を、議会招集者である町長に伺う)B今後の町長の進退について(新聞記事には、徹底抗戦と表明していたが、あえて伺う)というもので、全て町長に答弁を求めるのである。
 日々、S口光議員と連絡を取っている。どうやら議会の様子が一変したようだ。今までなら談笑が絶えない控え室であったのに、実に、静かという。また、議長は緊張しているのか目の表情がいつもと違うようだ。そして、常に、はつらつ元気というH山町長は、少々、痩せ細って、疲れがたまった表情らしい。異変はまだある。議員全員が一般質問に立つのが通常の真田議会なのだが、この9月議会は半数以下の7名しかいないとのこと。これにはびっくりする。
 では、本題に入ろう。ついに町長派のリコールかく乱策の「ウルトラC」が出たようだ。8月26日の日記で予言した通りの展開。与党知能派Y崎議員が、一般質問で「議員発議による住民投票について」を行うのである。すなわち、町長のリコール住民投票の前に、市町村合併の住民投票を実施し反対派のガス抜きをする。これによってリコール・合併反対派、慎重派の足並みを乱すという作戦のようだ。既に、Y崎議員と数名の議員による議会内の根回しは終わっているだろう。
 リコール署名の今後のプロセスは、署名簿提出が今月の10日、選管の効力の判定が20日間、ここで10月になる。意義申し出があると、それから一週間が必要で、全てが通れば署名簿の返還があり、ようやく解職本請求となる。署名簿の住民への本閲覧、解職本請求から60日以内に、町長リコールの住民投票となり、結果12月になのである。
 与党知能派Y崎議員は、このスケジュールを熟知しているようだ。「議員発議による住民投票について」という一般質問は、30〜60日以内に行う「市町村合併の住民投票」の条例を作り、実施するというものだろう。今、町長は落ち込んでいる。「お涙頂戴」の絶好のタイミングと踏んでいるのだ。
 今回の議会は、想像する限り、U田ケーブルビジョン生中継で久々の高視聴率になる。私がそのように読む以上、Y崎議員も読んでいるはずだろう。
 さて、どうするか…? S口光議員、今回は難しいぞ。


◆2004/09/01◆ 暑い初秋の不気味な浅間山噴火
 真田町のH山町長リコール請求署名にまで発展した我が町の市町村合併問題リポートの速報をお届けする。
 市町村合併推進の現職町長派が焦りだしたようだ。なぜならリコール派が当初目標の署名数の見通しが付き、後は、ダメ押しの署名をどこまで伸ばすか…となったからだ。と、書いていると某公共放送が臨時ニュース「火山情報/20時02分ころ、浅間山が噴火」とのテロップを流した。
 早速、気象庁の気象情報のHPをチェックする。すると、「20時02分ころ、浅間山が噴火しました。噴煙の高さは雲のため不明です。今後の火山活動に十分注意してください。<火山活動度レベルは0〜5のうち、3(山頂火口で小〜中噴火が発生)です。>」と臨時火山情報がある。定期的に火山観測情報をチェックしているのだが、8月26日発表には―浅間山の火山活動はやや活発な状態だった。その後、今日の午前11に発表した情報には、異変が昨日から起きていたことを知らせていた。火山性地震の発生回数が、1日あたり20〜50回で推移していたが、昨日15時頃から増加し始め、昨日の日回数は116回、今日の11時まで(すなわち約半日)の合計は129回と多い状態になり、日回数が100回を越えたのは、今年の4月4日(日回数125回)以来という。噴煙活動は引き続き活発な状態で、今日10時の状況は白色で火口縁上高さ200mだったとのこと。
 最新の火山観測情報・第7号(9月1日20時30分)がUPされた。内容は、20時02分ころの浅間山の噴火についてだ。「軽井沢測候所の観測によると、この噴火に伴い、大きな爆発音と空振を観測し、噴石が火山の中腹以上の広範囲にかけて観測されました。軽井沢測候所では空振の振幅は205パスカルでした。この爆発の後、現在も噴出に伴うと考えられる火山性微動が観測されています。今後の火山活動に十分注意してください。<火山活動度レベルは3>」とのこと。今、某公共放送の20時45分のニュースが、赤い光が輝く噴火口付近の映像を放送している。群馬県長野原町に設置したTVカメラからのLIVEには、赤く燃えるような点が数箇所確認できる。
 ところで、台風16号の大波による水害が甚大なものになった。何故、最悪になったかというとタイミング悪く大潮と重なったからだ。大潮とは、地球と月の引力作用で起こる潮の干満で、年間で数回おきる最大値の潮のことをいう。最新の学説では、地球の地殻も潮の干満のように変形しているという。火山活動や地震との直接的な関連性は、今だ解明されていないが、なんとなく嫌な感じがする。いずれにせよ、火山観測情報には十分注意したい。それにしても今年は自然災害の当たり年というか何というか…。
 おっと…、市町村合併問題リポートの速報が、火山観測情報の速報になってしまった。話を戻すが、焦った市町村合併推進の現職町長派は、またまた新聞チラシ作戦に出る模様。リコール署名潰しで新聞チラシを使うとは、なんともトホホである。リコール派も対抗し新聞チラシ作戦を展開するらしい。合併問題の住民投票直接請求運動も含めて、それ以降のチラシ合戦を数えれば何回目になるのだろう。真田町エリアを担当する新聞折込センターにとっては「特需」ではある。が、中身のないチラシ(両派とも町がどうあるべきか―が、何も書いていない)はある意味、中身のあるコミュニケーション「対話・討論・協議」などからは程遠い「幼いプロパガンダ合戦」そのものである。民主主義という言葉が薄ら寒い…。今後、合併推進派の防戦ウルトラC作戦(今回の折込チラシがウルトラC作戦かも知れないが)が無い限り、リコール署名は成功するであろう。この後、町長リコールの住民投票、そして、解職が決まったら町長選が控えている。まだまだ我が町は騒がしい状態が続くのである。


◆2004/08/27◆ 真田町町長リコール署名…速報
 一月ぶりに、過激な運動が展開している我が町の市町村合併リポートをお届けする。ご存知の「町長リコール請求署名」が進み、リコール派は「9月上旬の期限までに1人でも多くの署名を―」と奮闘し、現職町長派は「なんとしても潰さねば―」と様々な組織を使って防戦している。現状の署名数はギリギリというところだろうか。
 さて、現職町長派のリコール潰し・防戦作戦は、公選法には触れていないが道義的に見て如何なものか?というものが多いようだ。まず、菅平地区ではH山町長を援護し、リコール署名拒否を要請するチラシを旅館組合などが各会員にFAX、菅平の合併反対グループの動きを封じ込んだ。我が町から地蔵峠を越え松代を結ぶ県道が走っている西部地区を傍陽と呼ぶが、ここでは、H山町長に近い町議会議員が各戸を回って、リコール署名拒否を要請したようだ。また、H山町長の地元地区は町長自らが戸別訪問で、リコールに署名をしないよう要請。これに対しリコール派は各地にローラーをかけ、反撃している。
 ここにきて、あるチラシが配られている。チラシの配布者は「真田町議会議員有志13名」とあり、K産党反対派N沢議員、無党派反対派N村議員、若き慎重派S口議員の3名を除いた残り全員のようである。リコール派は名前を明らかにしているのだが、この13名の議員さんたちは名前を伏せている。前回の町議選で合併問題協議に関する公約もせずに当選した皆さんが殆どで、当選した途端「さぁ!合併だ」と、ほざいている。「リコール請求に対する私たちの考え方」と題し、内容は「町長は住民に対して誠意のない対応をしているとして、合併に反対する一部の方々が町長に対してリコール運動を進めている。今、町を完全に二分して混乱を増幅させていくことに、どんな意義があるのか。私たちは疑問に思い憂う」を序文として、リコール請求の説明をし、「今のリコール運動は町内を混乱させるばかり!住民投票条例を否決したことや、社会情勢を考え合併をすすめることをリコールの対象にしていいのか。疑問だ」の下に以下の箇条書きがある。
 ・私たちの生活を守るために合併は必要
 ・町や議会は、住民意向調査の結果を受け法定合併協議会を設置し、新市の検討を進めている。
 ・法定合併協議会での結果が出るまで、なぜ待てないのか不思議。
 ・選挙で選ばれた者をリコールするには、正当な理由が必要だ。
 ・将来展望のない解職請求は、それ自体多くの民意を無視している行為である。
 ・根拠のない不安材料で町民をあおることは許せない。
 続いて、「私たちの考え方・心ある多くの町民の皆さんへ/私たちは、少なくともこれから出される法定合併協議会の協議結果を良く見て、合併の是非を判断することが大切だと思っている。協議結果が、今までの内容と大きく変わった場合は、私たち町会議員有志も、町民の意向確認を町に求めていきたいと考える。私たちは、新市になっても今の真田町の良さが消えないような合併を強く望んでいる。勇気を持って新しいまちづくりに取り組んでいこう。市町村合併は、今しかなくこれからの時代避けて通れない。また、やり直しもきかない。この時期の判断が町の行方を大きく左右する。ここまでやってきた真田町を守り、これ以上混乱させないため、解職の署名活動には慎重な対応をお願いする」と書かれ、チラシの最後に『間違えて署名をした場合は取り消すことができる。最寄の議員に問い合わせを』と太字で書かれている。
 読んで分かると思うが、思わず笑ってしまう小学生の生徒会レベルのものなのだ。
 この有志議員の方々の中には、7月6日の甘辛日記で触れたが、合併反対派グループの2回めの住民投票直接請求を修正議案として可決し、本案を勘違いで葬った議員が何人もいる。このわけの分からぬ否決で、今回のリコール騒ぎという混乱を引き起こしたのだ。議員必携も読んでいない無能力議員は、どう考えてもA級戦犯なのである。本来なら政治生命が終わり辞職に値する議員たちが、自分の行った間違えも認識せず、町長派の手先となり、このようなチラシを配るとは、非常識極まる。議会は死に体というより、町長の親衛隊となっている。我が町には未来がない。
 リコール派3議員は怒り30日(月)、町議会議長に「非常なリコール潰し。チラシを出した議員名を公表せよ」と抗議する模様だ。この際、3名で会派を作るべきではないだろうか。また、リコール活動グループも徹底抗議を申し込むとのこと。無理もない。私でも怒り心頭なのだから…。31日には「議員リコール妨害」などというタイトルでS濃毎日新聞の紙面を飾るだろう。
 この甘辛日記では3月から我が町の市町村合併をレポートしている。我が町のゴタゴタを知る参考のために掲載の日付を挙げておく。3月13日、5月11日、7月6日、7月29日、関連8月13日である。


◆2004/08/24◆ オリンピックを見ながら「10日間の長野県政ウォッチ」
 ここ10日ほど夜中のオリンピックを見てしまい昼夜逆転…。決して仕事に追われているわけでもないのだが、寝不足は頭の回転の速度を低下させる。例によって、趣味のサイトのコンテンツUPだけは何とか続けていたが…。オリンピックはメダルラッシュのようで嬉しい限りだが、新聞の端に載っている県政がいただけない。ここ4年ほど続いている摩訶不思議な幼稚症としか思えない知事の県政が、ついに地殻変動を起こし始めた。日々、県政をチェックするタイプの私ではあるが、なかなかの爆笑が続き、少々、長野県民として恥じてしまう日が多かったのである。そこで、久々の箇条書き日記を「県政ニュース」を交えながら一刀両断!


14日●アテネ五輪開会式を見て寝坊する。これまでの五輪演出と違い、さすがに発祥の地。なかなかのシナリオだった。寝不足の状態でS濃毎日新聞をチェック。「五輪開幕・108年ぶりに発祥の地に戻る」「巨人・渡辺オーナー辞任」「検証T中改革・第2部 廃棄物条例の混迷B」この辺はともかく…。「外郭団体見直し『基本方針』懸念も」の記事に、専門委員会の「廃止」答申に反し県がまとめた基本方針に、県観光協会は民間主導の団体へ、県暴力追放県民センターは県関与の廃止にトーンダウンしたという。専門委員から変更の経緯が示されていないなど、県の対応に不満を爆発させた模様だ。ちなみに、我が県は年間1億人以上の観光客が訪れる。その辺を意識して知事は「観光立県」と言っているが、昔から観光県なのである。ここまで市場が大きいと、税に占める金額が多くなり、県の関与・管理が逆に必要となる。委員の答申を踏まえるのなら、廃止した上で4エリア(北信、東信、中信、南信)別の観光協会を立ち上げ、県が関与できる状況にしたほうが効率的である。なぜなら、観光客の行動パターンはこの4エリア内に集約できるからだ。また、南信と北信の観光資源の内容もずいぶんと違う。首都圏や大都市から入ってくるコースでも消費パターンが異なる。このような視点で考えれば、県レベルの観光行政の補佐的な仕事は4エリア別観光協会にまかせ、担当部局は調整的な仕事に専念できるはずなのだが…。ところで、どの国や県でも同じなのだが、観光地には暴力団が寄生する場合が多く、県暴力追放県民センターはリミッター機能を持っている。前述した観光協会と同じ視点で考えれば、県全体の組織が必要かどうかが分かる。各所轄内にある下部組織を独立させて機能強化を図り、より柔軟で実質的な対応できる。県全体ものは連絡協議会レベルでも問題ないと思われるが…如何か。
15日●終戦記念日。この日は特別な思いがある。記憶では父が祖父母の位牌の前で戦友を念ずるのを、母、姉、兄、私の4人が正座して後ろから見ていた。父は志願して陸軍に入り、三重航空隊の将校として重爆撃機の機長だった。戦争末期、グライダー型の特攻機を爆撃機で引っ張り飛行する演習で、紀伊半島の上空を飛行中、ボーイングB14(だったと思う)と遭遇し空中戦。戦友、数名が搭乗していたグライダーが海中へと姿を消した。「戦死者は決して犬死じゃない」という言葉とともに、この話を必ず聞いたのである。父は続いて「生まれる時代は選べない。歴史をジャッジするべきでない。歴史は俯瞰して見て自分なりフェアで考えることだ。そうすれば世のためになる」と育ってきた。私の世代では珍しいかもしれない。
16日●T中康夫後援会「Sなやかな信州をはぐくむ会」の幹部、元H十二銀行頭取T野実氏と長野商工会議所会頭N科恵敏氏が、T中康夫知事に書面で履行期限付きの要望5項目を手渡したというお笑い報道があった。S濃毎日新聞はこれを「県政手法への最後通告」と伝えた。記事によると「再三意見しても知事の奇行悪行が収まらないので、ついに書面で諫言に及んだ」とのこと。しかしながら、その後、各報道を見ると知事が理解したようには思えない。いや、あの御仁には伝わらないだろう。支持率低下でポストT中を模索し始めたお2人の証拠作りであろうが、既に後援会も知事をコントロールできないということを証明している。2年後の知事選が動き出した。数名の具体的な名前も報道されている。ところで、知事を担いだ「Sなやかな信州をはぐくむ会」の皆さんに、次回の選挙に関わる資格があるのだろうか。猛省した上で次回はチョッカイを出さないことだ。「民主主義の目覚まし時計」などと誉めそやし当選した知事が、この4年間したのは「知事ごっこ」なのである。忠告したお2人は、巨大組織のトップにいる。であれば一目見て「この御仁は幼稚症」と見抜いても良かったはずだ。ただ、今回の「最後通告」で、確実に知事の周囲から人が去っていき、結果、一層の支持率低下となる。お2人の意図に関わらず、T中県政崩壊のプロローグの幕が上がった。
17日●S濃毎日新聞「S井よし子氏ら義務教育費削減反対の共同提言」の見出しに、T中康夫知事も賛同者として同席という記事があった。そういえば12日あたりから状況証拠を作り始めていた。13日のS濃毎日新聞は「全国知事会が国庫補助負担金の削減案で義務教育費国庫負担金の一部廃止を検討していることについて、T中知事は記者会見で『姑息なおためごかしをやっていていいのかという気がする』と批判を表明、新潟市で18、19日に開く知事会議で廃止に反対する」とのこと。おいおい、その昔、というか六月、全国に先駆けて国・地方税財政の「三位一体改革」に向け、九兆円程度の国庫負担金を廃止、地方に税源移譲するべきだ―とする独自の緊急提言を政府に提出したとき、義務教育費国庫負担金も廃止対象に含まれていたでしょう。義務教育補助金でいろいろ縛られ教育改革がちゃんとできない―と騒いでいた知事が、I原慎太郎・東京都知事と懇談したぐらいで「感銘を受けた」とかいって突然の変説か?
18日●S濃毎日新聞によると全国知事会でT中知事は、「今回の全国知事会議で、梶原拓会長に提出した文書で、義務教育費国庫負担金を廃止しない場合の代案については、地方自治体と国が協議会の場で検討を続けるべきだと主張。ただ、県として『具体的な代案』は示さなかった。」代案がないというのも情けない。「その上で、今回の補助金改革論議で国が地方にげたを預けたことを批判する立場から、国がまず省庁の枠組みを超えてどの国庫補助負担金を廃止、地方に税源移譲するかを示すべきだ―との考えを示した」…全体の構造論・概念論に摩り替えて反論するとは、具体的な構造が見えていないということ。当たり前な話だが、国が義務教育費国庫負担金を廃止するという改革は、言語道断である。ならば、具体的に現在の審査・運用上の問題を指摘し、代案を作ればいい。知事の周辺に中央行政のプロがいないとこうなる。
19日●T中知事の県政の内容が内容なので、県政ウオッチャーをするのも疲れてくる。S濃毎日新聞。「全国知事会で補助金削減案を決定・義務教育費も対象。長野県など7県反対」。ちなみに反対したのは長野・群馬・山梨・三重・広島・愛媛・大分だった。
20日●S越放送のニュースによると「千曲・温泉施設からレジオネラ菌検出」。白骨温泉問題で大々的に温泉を調査した直後のはずなのに、マスコミはあまり騒いでいない…。不思議だ。入浴剤問題は生命に関わりないが、レジオネラ菌は問題がある。たしかT中知事は会見で「掛け流し、循環、殺菌など様々な調査」と言っていたが、最近では「温泉法」が「ザル法で仕方がない…」と開き直っているようだ。温泉法がザル法ということは昔から明白なこと…、日本温泉学会では以前から指摘している。
21日●テレビ信州・24時間テレビが始まる。頑張って欲しい。今年も多くの募金が集まることを祈る。S濃毎日新聞によると「20日上田市内で県廃棄物条例の市町村意見交換会。制定急ぎすぎと批判。議論積み重ねを」と伝えた。県廃棄物条例案の基本的な考え方は正しいのだが、卓上の理論に近い。なぜなら、一般廃棄物処理の現場は市町村であり、県は現場の意見を聞きながら、処理をするプラントをどのように用意するか、長期戦略を練り実施するのである。何かというと「箱モノ行政反対」というが、廃棄物処分場やダム、上下水施設などは、県民生活のインフラで必要なプラントなのである。さらに、県民に対するゴミを減らすという啓発は、家庭での「躾」に等しく、教育の中から進めていくべきものだ。
22日●テレビ信州・24時間テレビが無事終わった。MCのI東アナとK納アナのコンビが実によかった。さて、募金は如何ほどになったのだろう。ところで、民放がこんなに素晴らしいイベントをしているのに、21日開催した県の「バス・ギルトーナメントin信州」というイベントは何だ!大町市の中綱湖などを会場にし、県や県漁連、日本釣振興会県支部などでつくる実行委員会が主催。外来魚のブラックバスとブルーギルを釣ったり、調理して食べたりする内容だった。しかし、T中知事は、釣った外来魚の駆除を進めるための「リリース(再放流)禁止」への姿勢を明確にしていない。S濃毎日新聞によると「参加者からは―何のキャンペーンなのか趣旨が分からない―との声も上がった」と伝えた。そりゃそうでしょ。参加者は約百五十人。釣りの後、近くのスキー場で県側が『事前に用意しておいたブルーギル』を料理してフィッシュフライバーガーを試食したという。挙句の果てにはT中知事のトークショーで「(外来魚問題は)純粋に釣りや魚が好きというより、政治の問題になっている」と述べるだけ…。おかしなことに、なぜか県の信州ブランド戦略チームが関わっているという。内水面漁場管理における環境問題が観光問題になったのか?担当部局は園芸特産課と県内水面漁場管理委員会のはずだが…。いずれにせよ数百万の予算が使われたのである。
23日●昨日のS濃毎日新聞の「バス・ギル・イベント」の横に掲載された報道…昨夜のニュースでも呆れたのだが…県企業局が管理運営する松塩水道用水管理事務所本山浄水場(塩尻市)の職員が、水質汚濁防止法の基準を超える化学物質を含む汚泥を、奈良井川へ故意に流していたという事件だ。職員曰く「汚泥処理場が満杯になるので、ここ数年、川に流していた」とのこと。これはあきらかに犯罪となるだろう。しかも、当初、職員のコメントは「被害は出ていない」などと滅茶苦茶だ。魚類への影響は、じわじわと出てくるものなのだ。この問題でT中知事は22日、浄水場を視察。知事は「地域で川の水質を良くする営みを続けている中、長年にわたり迷惑をかけてきたことは心苦しい」と述べ、汚泥排出の経緯や河川への影響を調べて結果を24日に公表するとコメントした。たしかT中知事は市民派、環境派だったのではないか。奈良井川漁協の関係者は怒り心頭だろう。同漁協関係者らが、奈良井川の浄水場下流で見つかったアユやイワナの死骸を知事に見せ「魚はだんだん弱っていく」と、被害を大声で訴えた…、当たり前だ。
24日●S濃毎日新聞には我が町の町長リコールが大々的に載っていた。ところで、TVの各ニュースをチェックしているが「奈良井川・汚泥排出事件」の記者会見がないぞ!延期したのか?

 この企画…「箇条書き日記・県政ニュースを交えながら一刀両断!」、書いていてだんだん疲れてきた。県政をチェックしていても、思いつきで生きているとしか思えない知事のテイタラクでは…爆笑も出なくなり嫌気モードになってくる。もう二度とこの企画はしたくない。チョンボ企画として蔵に入れておきます。


◆2004/08/13◆ 下諏訪町の「合法的・地方公務員のリストラ」
 あまりにも涼しい風で、今朝、5時ごろ目覚めてしまった。我がアトリエは山里にあるので、新聞配達が遅いことが多い。が、このところ5時にはS濃毎日新聞がポストに入っている。珈琲を淹れ、朝刊に目を通していると第1社会面に面白い記事があった。
 『諏訪郡下諏訪町の課長級職員14人のうち9人が、定年を前にT橋文利町長に退職願を出していたことが12日に分かった』という。何故、集団退職願いとなったのか…という原因とその後の見通しについて記事は、『町長は「来年度も引き続き課長を務める職員が予算を編成すべきだ」とし、来年3月に定年となる5人については9月末の辞職を受け入れる方針。残る4人の扱いは未定だが、年度中に幹部職員の6割が入れ替わる「前代未聞」(幹部職員)の事態も予想される。9人はいずれも一般職で最高ポストの参事。』と続いている。
 T橋町長はA日新聞論説副主幹、R命館大学教授を経て、任期満了に伴う2002年8月の町長選で、脱ダム派・行政と住民による民公協働の街づくり、住民組織の100人委員会など「町政の改革」を揚げ、保守系ダム推進派のI川富造・無新、保守系脱ダム派のO上武・無新を破って初当選したのを覚えておいでだろう。
 事の発端は、4月1日の課長会議で、T橋町長が一般企業の人事システムを例に挙げ「予算編成は新しい課長で行う。来年3月に退職する5人は(冬の編成前に仕事を)降りてもらう」と発言したことからはじまり、役所内抗争となったようだ。
 1980年代からだろうか、国会議員や首長の選挙でよく聞く「民間の発想と手法を行政に!」というスローガン。正論ではある。しかし、博物館や美術館などのプロジェクトで民間企業と公共団体との板挟みで苦労した長年の経験から、果たしてそうなのだろうか…と、思うことが多々あるのだ。
 当たり前な話だが、民間企業は営利前提の組織で、行政を始めとする公共団体は営利ができない予算執行の組織である。民間企業の経営論では営利前提であるために時代を先取りできる優れた若手を積極的に活用したほうが、今の博打的自由経済を乗り切ることができる。が、税金や補助金が自動的に入ってくる予算執行のみの組織では、百年の計の下に、より公平に、より無駄なく使うため、ベテラン管理者が必要な場合が多いのである。まぁ、そのベテランも、良識を持った一般的な市民感覚であることが前提なのは言うまでもないが…。
 民間企業の経営感覚とは別次元であり、水と油ほど違う土俵のなかで、どの手法が使え、どの手法は使ってはいけない…と、首長が慎重に事を進めなければ、今回のような反乱が起こるのである。しかも、部下となる役人は地方公務員法という法律で守られ、民間企業のようなリストラが簡単にできないのだ。
 記事を読む限り、T橋町長もその辺は良く知っているようで、民間企業の手法「肩タタキ」を法律に触れない程度に、今回、辞表を提出したいずれの課長たちに退職を促したり、7月1日付けで参事に昇格させるというニンジンを与え、近く課長級から降ろそうと目論んでいるようだ。
 今回のゴタゴタは他の要因もあるだろう。T橋町長は脱ダム派候補といえども、どちらかというと落下傘部隊だ。また、もう1人の保守系候補を望んでいた課長職もいたかもしれない。
 いろいろな見方ができる出来事だが、「集団退職願い」を出した9人の課長職は、首をかけてT橋町長に抗議したのである。現状の県庁内とは違い、諏訪人気質が感じられる正しい戦いという意味で拍手をしたい。一方、T橋町長にしてみれば「願ったり叶ったり」で、この新手ともいえる手法が定着するのであれば、リコール騒ぎで町長選の可能性も否定できない我が真田町でも導入したい「新手法」を編み出した県内初の首長となるだろう。
 一つだけ間違いないことは、今回の課長職反乱によって、役場内の志気が下がったということだ。T橋町長はどこまで現実を踏まえられるのか…見守りたい。


◆2004/08/11◆ イラク戦争と「第4次オイルショック」
 酷暑の夏が続いているが暦の上では秋になった。標高900m近い真田の山里では、ここ数日の朝晩、涼しい風が心地よく吹き、赤とんぼの姿も見かけられる。しかしながら、まだまだ日差しは真夏そのものだ。年明けから異常気象なのか、雪の少ない温かい冬、春雨前線が殆ど出現しなかった高温の春、酷暑でありながらも各地に豪雨災害をもたらした梅雨…と異常な季節が続き、この異常な暑さが経済回復の効果をもたらし始めている。
 だが、今、某公共放送のニュース(8時30分)が「NY原油、最高値更新=一時45ドルを超える」と伝えたのだ。ドキッとした。アメリカが一方的に開戦したイラク戦争によって引き起こるであろう…と心配していたことが起きようとしている。実は11日の時事通信が『NY原油、最高値更新=一時45ドル寸前』と伝えていたのである。
 ついに、『第4次オイルショック』が始まろうとしている。
 我々世代から上は、全てのオイルショックを経験している。国際政治・経済が背景のオイルショックは、複雑な因果関係があり正しく理解するのは難しい。中学校の授業のようだが、復習してみる。
 ご存知の第1次オイルショックは1973年に起きた。第四次中東戦争が石油危機の直接原因だが、中東の石油生産国が生産量を減らし、一方的に石油の値段を引き上げたことに起因する。皮肉なことに、1972年末、石油危機に乗じた原油値上げによりメジャーは空前の利益をあげ、このことがイスラム諸国の大衆に一層の貧困をもたらした。その直後、約5倍近くに跳ね上がった原油価格が世界経済に大打撃を与えたのだ。輸入国の産業活動がストップに近いダメージを受け、日常生活にも暗い影が落ちたのだ。当然ながら、第四次中東戦争において「死の商人」を担ったのは冷戦構造下の米ソだった。
 第2次オイルショックは、1979年のイラン・イスラム革命以来のイラン・イラク戦争に端を発する。他国にもイスラム革命が波及することを恐れ、イラクは隣国イランに欧米やアラブ保守国の援助を受けて、国境線を争うという形でイランに武力侵攻、イラン・イラク戦争が始まる。その後、両国の戦争は泥沼化し、9年続いたのだ。これをきっかけに石油の値段が跳ね上がり、石油輸入国は対応に追われた。輸入国では、エネルギーの節約や石油に代わる新しいエネルギーの開発、省エネの研究をはじめ様々な副産物を残し、この頃の技術が日本を強くしたといわれている。フセインの野望を増幅させたのも、このイラン・イラク戦争で、後の湾岸戦争へ繋がっていく。ここでも、欧米諸国が援助したのを忘れてはならない。
 第3次オイルショックは湾岸戦争によるものだ。1990年8月から1991年2月まで比較的短期間であったが、イラク軍のクウェート侵攻により、一時中東湾岸諸国からの原油輸出が停止、終戦後もイラクからの輸出が制限されたのである。その後、フセインと前ブッシュ大統領の確執が確実なものとなった。
 そして、第4次オイルショックがすぐそこに来ている。今回の状況は、これまでのものと全く違うのである。米国のブッシュ2世が「民主主義の世界普及」という名の下に開戦した大儀なきイラク戦争のために、イラクは国の形を呈していない『カオス』の状況にある。暫定政権というバーチャルに近いものに、「主権移譲」したというが、そのまやかしと昏迷。パレスチナ問題も昏迷を極め、火薬庫といわれる中東が「核分裂反応」を起こそうとしている。文明の衝突の臨界直前なのだ。
 今回の「第4次オイルショック」がどのように世界経済を破壊するのか…。世界地図が大きく変わるようなことが起きなければいいのだが…。


◆2004/08/06◆ 我が心の師匠アンリ・カルティエ・ブレッソンの死去に冥福を祈る
 尊敬していたフランスの報道写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソン氏(日記/3月25日参照)が死去した。以下、パリ発共同通信の記事を紹介する。

 フランス公共ラジオによると、アンリ・カルティエ・ブレッソン氏が3日、フランス南部の自宅で死去、95歳。死因は明らかにされていない。
 ロバート・キャパらと写真家集団「マグナム」を設立したことや、写真集「決定的瞬間」で知られる。
 1908年、同国ノルマンディー地方生まれ。絵画や映画を学んだ後、30年代から小型カメラのライカを持って世界各地を旅して人々の日常生活を記録。スナップショットでルポルタージュの分野を開拓、拡大し、現実感あふれる作品を残した。36年に新聞社の採用試験を受け、ともに不採用となったロバート・キャパらとワイン大瓶(マグナム)を空け、スペイン内戦の取材に行ったことから、47年にマグナムを結成。60年代までのフォト・ジャーナリズムの全盛期を支えた。52年に出版した「決定的瞬間」で、一瞬の映像の中で豊かな人間性を表現し、二十世紀の写真に大きな影響を与えた。世界各地で真展を開き、著書、写真集多数。フランス芸術文化勲章コマンドール受章。

 彼の死去で、写真界の20世紀の幕が閉じた。冥福を祈りたい。


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