明治中頃の海外輸出用の「九谷焼金襴手ティーカップ」である。20数年前、ソーサーが無いものを、上田の骨董屋で手に入れた。
 華やかな色絵磁器で有名な九谷焼は、金沢市とその周辺が産地である。発掘された陶片や文献から、江戸時代・明暦年間(1655〜58)が起源という。起源説は主に二つあり、一つは、江戸初期に加賀金沢の大聖寺を拠点として焼かれ始めたというもの。一方は、九州の初期有田の色絵磁器が流通され金沢にもたらされた…という説だ。何れの説にせよ、元禄年間に幕府が介入し、窯業は廃絶されてしまった。
 当時のものを"古九谷"と呼ぶ。初期に見られる作調は、実に味わい深い色絵磁器だ。深い色合いの緑を生かした美しい絵付けの"青手"、緑と黄色を基調に五色の絵が施されている"色絵"などだ。
 謎めいた起源をもち、絶えてしまった九谷焼だが、文化年間(1804〜18)初頭、九谷焼は俄かに活気を帯び復興する。"復興九谷"である。有名な春日山・吉田屋は、京都から京焼の陶工を招き築窯したものだ。また、地元の武田民山、飯田屋八郎右衛門、永楽和全が活躍。明治に入ると、九谷庄三、内海吉造らが頭角をあらわす。少々、細かな話になったが、九谷焼の裏には必ず記銘がある。窯のブランドや職人名の知識は、器を入手する際のありがたい判断材料になのだ。
 さて、ようやくこのティーカップが登場する時代を迎える。明治初頭、大量生産が進むにつれて、品質低下の一途をたどってしまった九谷焼は、田中孫平が海外輸出に力を注ぎ活路を見出す。今日の盛況は、その当時に築かれたものだ。
 ご覧のとおり、緻密な絵付けに金彩を施した見事な仕事。生地は紙の如く薄く、ガラスのように滑らかだ。取っ手を持ち、口元に運んでも、紅茶の重みしか伝わらない。
 エキゾチックな金襴手の絵柄は、なんともいえぬ存在感がある。欧米の人びとは、カップにあるミニアチュールから、どんな日本をイメージしたのだろうか。
 ところで"シノワズリ"という言葉をご存知だろうか。17〜18世紀にかけてヨーロッパで流行した中国風装飾様式のことだ。フランスで生まれたロココ調の美術に、中国の複雑な文様が結びついて、建築、家具、陶磁器などの意匠に用いられた。平たく言うと当時の"中国趣味"である。
 ヨーロッパで茶を飲み始めたのもこの頃で、文化面でのシノワズリだ。中国と日本の茶が、陶磁器の器とともに、はるばる海を越えて運ばれていった。新大陸のココアやアラビアの珈琲も、ヨーロッパに登場する。水や乳飲料、ワインやビールを飲んでいたヨーロッパの人びとにとって、これら新しい飲み物は、熱くして飲み、苦みがあるという共通の特徴をもち、摩訶不思議な未知の飲み物として珍重されたという。
 お茶の存在は、やがて食生活や陶磁器に変化をもたらし、人びとのつきあい方、植民地政策なども変えていった。イギリス独自の伝統といわれる紅茶文化は、その代表的なものだ。19世紀には、植民地のインドとスリランカで茶の栽培に成功し、一大産地となる。
 イギリスの陶磁器ウエッジウッドには、1820年頃のティーカップで、クタニクレーンという器がある。"クタニ"は、ずばり九谷焼のことだ。ヨーロッパの有名陶磁器は、中国や日本の陶磁器から多大な影響を受けていたのだ。
 如何だろう。ティーカップ一つでも、日本とヨーロッパの文化史が垣間見える。似合うソーサーを探さなければ…、おっと…、紅茶を入れるお湯が冷めてしまった。

#013●明治中期の輸出用・九谷焼金襴手ティーカップ