数年前、伯父から譲り受けたものだ。伯父の話では、30年程前、モンタナ州の州都へレナのアンティークショップで、3つ並んでいた中から、状態の良いものを80セントほどで手に入れたらしい。旅の終わりに、ワシントンのスミソニアンにある自然史博物館に寄ったら、同じものがあったという。ゴールドラッシュ当時の展示コーナーで、ジオラマの中に同じ坩堝が展示してあり、本物だとわかり喜んだらしい。
 米国で最初のゴールドラッシュの舞台となったのはカリフォルニアだ。カリフォルニアは、メキシコとの戦いに勝利して1848年に得た土地だった。同じ年に、カリフォルニアで金が発見され、移民が殺到、それがアメリカのゴールドラッシュの始まりとなる。
 1840年代の初め、スイス系移民のジョン・サッターが、農業王国建設を夢見てサンフランシスコ近郊に「サッターの砦」と呼ばれる農園を整備する。彼は、理想の農園を実現させるため、そこから北西50マイルにあるアメリカン川河岸に、部下のジェームズ・マーシャルらを送り、製材所を立ち上げるのだ。
 ところがマーシャルはその河原で、歴史の一ページをめくってしまう。砂金を発見してしまったのだ。あくまで農業での成功を夢見ていたサッターとマーシャルは金の発見を喜ばず、一攫千金をねらう人々の殺到を恐れ、しばらくは砂金の発見を秘密にしていた。しかし、秘密は長く続かず、農業王国の夢は敗れ去った。
 ゴールドラッシュは、カリフォルニアに一年間に10万人という人口増加をもたらし、1850年、カリフォルニアを州に昇格させてしまう。同時に、金を掘り尽くしてしまったが、カリフォルニアから西部各地へとゴールドラッシュは飛び火する。そのフロンティアラインは、西から東へと進み、1870年代まで続いた。さらに、鉄道の整備も加速することになる。ネブラスカ州オマハから西を目指したユニオン・パシフィック鉄道と、カリフォルニア州サクラメントを起点としたセントラル・パシフィック鉄道がつながり、大陸横断鉄道が1869年に完成する。このように、ゴールドラッシュは、アメリカ大陸開拓に多大な影響を与えたのだ。
 ご覧のように、金の精製に使われた坩堝は、鉱石の溶解で出てきた成分が、自然釉のような肌合いを醸し出し、実に面白い。一つとして同じものがなく、様々な個性を放っている。手前の坩堝が、米国ゴールドラッシュ時のアンティークで、伯父から戴いたものだ。右の背が高い坩堝は、山梨の古道具屋で見つけたものだ。ほんの少しだが二つとも金が付着している。
 米国のゴールドラッシュの歴史の歴史に対し、山梨の金山の歴史は戦国時代からだ。800年以上の歴史をもつ下部温泉付近には、湯之奥、常葉、栃代など6金山が点在する。戦国の名将・武田信玄の軍資金となり、黄金に魅せられた人々の夢が語り継がれている土地である。
 とは言うものの、私が山梨で見つけた坩堝は、アンティークでなく現代のもの。底には、英語でNIPPON CRUCIAL CO,LTDと素っ気なく彫ってある。わが国の歴史的な坩堝は、鉢のように背が低く口広なのだ。
 さて、山梨には旨い蕎麦を打つ知人がいる。知人と山梨の古道具屋を巡り、古い坩堝を探してみるか。

#012●19世紀の米国・ゴールドラッシュに使われた坩堝