19世紀中頃の「純銀のマッチケース」である。私が銀細工のマッチケースに出会ったのは、十数年前に神戸の北野にあった「神戸ランプ博物館」でのこと。当時、私は京都に住んでいた。五条大宮に友人の奥方が営むアートギャラリー兼アンティークショップがあり、よく顔を出す…というよりは、一杯呑みに行っていたのだ。なぜその店へ足が向くかというと、新進気鋭の陶芸家や画家、写真家、染色家、クラフト作家が出入りし、若者のアートパワーに満ちた空間だったからだ。日も傾くと、自然と酒宴になるのだが、世界各国の古きよきものを肴に"歴史の知恵""巧の文化"を語り、実に有意義な時間を過ごした。
 年に2回ほど友人夫婦は海外へ仕入れに行っていた。ある年の春、ロンドンから十数個のマッチケースを仕入れ、その時に"友人価格"と呼ぶ破格値で、気に入ったものを三つほど手に入れた。一つは友人に譲り、もう一つは仕事で鹿児島に出張したとき、繁華街の天文館で飲み歩いていて、キーホルダーごと無くしてしまった。二日酔いの翌朝、焦った私は警察に紛失届を出したが、戻らず仕舞いでもう十年。最後の一つとなったのがこのマッチケースなのだ。
 ご覧の通り、生地の銀は使い込まれ、細かい手彫りのレリーフも、所々擦り切れている。マッチの発明によって誕生した英国紳士の小道具は、なかなか"粋"な細工が施されているのだ。蓋の左側にある刻印は、製造社のもの。蓋と重なり合う本体の中央部分の刻印は、イギリス政府が証明する"銀"の表示だ。今日でも刻印データが残っていて、銀の純度や年代が鑑定できる。
 マッチケースを語るには、マッチの歴史から俯瞰しなくてはいけない。歴史上、最初のマッチといえるものは17世紀末まで遡る。イギリスのロバート・ボイルが化学マッチの原理を実験で成功させたのだ。19世紀に入ると、あるフランス人化学者が、空気で自然発火する薬品に浸した紙を、真空ガラス管に封入するという発火道具を発明した。この不思議なマッチは、ガラス管を叩き割り、発火した紙を急いで取って火を付けなければならず、目に見えぬ早業が必要だったという。その後、1827年にイギリス人薬剤師ジョン・ウォーカーが、ザラザラした面に棒を擦って火が付くマッチを完成させる。このマッチは画期的な発火道具"ローマッチ"としてヨーロッパの各地で製造販売されたのだ。愛煙家に大ブームとなり、銀細工のマッチケースが誕生する。
 さらにマッチは改良されていくが、その開発物語は、当時の文明をリードするイギリスとフランスの"発明の英仏戦争"だった。この戦いは、その約20年後、オーストリア、スウェーデンなどの発明家が開発した安全マッチの出現で決着する。現在の箱に入った安全マッチの原型を世に出したのだ。日本に安全マッチが伝えられたのは約百年前のこと。このマッチケースの年齢は、遥かに年上なのである。

#009●19世紀中頃"英国製・純銀マッチケース"