この深皿は、四国最大の都市、松山市にある正統派の骨董屋で手に入れた。
 信州に帰る前は四国・松山に住んでいた。西日本に博物館の建設プロジェクトが多く、空と海の航路が充実した松山で仕事をしていたのだ。温暖な気候で交通の便もよく、何より、美味い魚と、少々甘めだが、瀬戸内独特の風味をもつ地酒があり、西四国に行けば地焼酎も楽しめるという環境である。物価も安く、大手企業退職者たちの第二の故郷、永住地として、大変人気がある。物価の安さは、骨董や古道具を手に入れる際にもありがたく、四国各地の城下町の骨董屋で、様々なものを手に入れた。松山市内にも十数軒の骨董屋があり、松山城周辺の骨董屋にはよく足を運んだ。
 大街道という、老舗専門店が並ぶ古風な雰囲気が漂う商店街の並びに、この伊万里と出会った骨董屋がある。主人は三代目で、京都の老舗骨董屋で修行した経歴を持つ正統派だ。ケースに鎮座していたこの深皿は、傷がない完品で五客揃い、伊万里ならではの高値が付いていた。とは言うものの、やはり四国価格で、私でも手に入れられる値であった。
 ご覧のように、シャープな白磁の生地の上を、藍色に発色した呉須の濃淡で雲龍が描かれている。古伊万里では、ハレの日に使う器に、麒麟の絵付けを見かけるが、珠を追う雲龍の姿は珍しい。藍色の濃淡で表現された美しい文様は、手描きならではのもので、数多く見た伊万里とは趣が異なり、私の心を虜にしたのだ。
 呉須とは磁器用の彩料で、コバルト化合物を含んだ青緑色の黒っぽい鉱物のことだ。深く美しい藍色を発色する。濁った安っぽい発色の藍色は、幕末から明治にかけて輸入された洋呉須が殆どで、一目見たら時代を区別できる。主人の話では、ここまでレベルのいい雲竜文の古伊万里は、そう簡単に出会わない、とのこと。確かに、完成度の高い生地といい、上質な発色の呉須といい、江戸後期の古伊万里系だろうと推測している。
 伊万里は有名なのでご存知だろう。有田焼のことである。有田焼は伊万里港という地理的環境に恵まれていたので、伊万里と呼ぶ。日本で唯一の異国交易の拠点・長崎出島の近傍に位置したため、日本を代表する焼き物となった。その歴史は桃山末期に遡り、古唐津系陶器、絵唐津式の雑器生産から始まる。元和年間(1615〜24)に発見された白磁礦によって、日本初の磁器製造に成功し、藩政の殖産奨励も手伝い、一大窯業の郷となる。
 時系列をたどると、有田陶器系、初期有田磁器系、古伊万里系、柿右衛門系、鍋島藩窯系、有田民窯磁器系の六つに技法的に分類でき、今日まで続いている。よく柿右衛門という名を耳にするが、伊万里港からの輸出向けが柿右衛門で、国内用が古九谷であったという。

#008●江戸後期・伊万里雲龍文深皿