長野県の長野市・松代で焼かれていた松代焼をご存知だろうか。善光寺参りに来られた方で、みやげ物として見たことがあるかもしれないが、今日の松代焼は復興されたものだ。
 松代焼は約120年間焼かれた、どちらかというと短命の焼きもので、最初に焼かれたのは寛政年間(1789〜1801)のこと。唐津で修行をした陶工が松代の東寺尾に窯を築き、藍がめを焼いたという記録が残っている。その後、文化13(1816)年、松代藩は産業育成政策の一環として、天王山南麓など二か所の藩窯を築き、茶わん、徳利、鉢、かめ、どんぶり、片口、皿、つぼなど、日用雑器を焼いたのが松代焼の始まりである。幕末から明治末年までに、つぎつぎと民窯(民間の窯)ができていったが、これらの窯は殆どが短命で、最後まで焼き続けた窯は、昭和初期に廃絶してしまった。
 よく信州を代表する焼きものと言われるが、それは、松代焼の影響下にあった窯が、長野市から上田市の周辺に多かったからだ。陶土、釉薬の基本が共通し、技術的にもつながりが見られ、北は三水村の赤塩焼、東は上田市の東馬焼で、長野市には岡田焼など数か所あったという。これらの窯も江戸末期から明治に始まり、昭和初期に消えていった。
 この片口は明治期の品で、20年ほど前、長野の骨董屋で手に入れた。ご覧のように、松代焼独特の緑色の釉が白い下地に流れている。口に当たり傷があり、入(にゅう/貫入の略で釉ひびのこと)があるが、安定感のあるどっしりとした容(かたち)は、暮らしに耐え忍ぶ力強さがある。奥のものは新物だが、伝統的な深い色合いと力強いフォルムを、実によく復元している。
 松代焼を代表する姿は、緑色の釉を纏っている器だ。短い窯の歴史だが、時代を遡ると、様々なバリエーションがあり変化に富んでいる。ねずみ色やうぐいす色、粘土の鉄分と化学反応した藍色やあじさいのような優しい色。かめなどに多く見られる錆色などは、唐津焼を連想してしまう。これらの唐津焼に似ている器は、京都などから松代の骨董屋に注文がきていたというから驚きだ。松代焼が民家の縁の下にごろごろあった昭和初期の話らしいが、骨董の都・京都に一目置かれていたとは、実に面白い。
 骨董の焼きもの用語には「田舎焼」という言葉がある。地方で焼かれていた窯のことだ。日用的な陶器を産し地元で消費する、昨今流行りの「地産地消」である。田舎焼も含め陶磁器の多様性は、各地の風土と暮らしを垣間見れるようで、その奥行きに驚く。骨董好き、焼きもの好きにとって、素朴で温かい地方の焼きものも美しいのである。

#007●信州の松代焼片口・明治期