古い話になるが、この陶片と出会ったころ、私は博物館のプランナーの駆け出しとして、佐賀県をはじめとする九州各地へよく出張していた。文化施設の展示室に並べる品々を決めるため、地元の教育委員会の方々と昼間は各地へ取材に出かけ、夜は新鮮な魚と焼酎で地元の歴史・文化の話を肴に朝方まで酒宴の連日だった。二日酔いも連日となると、常に酔って仕事をするという体たらくな状態だったのだ。
 焼物が好きな私は、小学校の頃、陶芸家・永見鴻人氏の門を叩きミニ修行をし、陶芸家に憧れた時期があった。父が焼物の評論家なので、影響されたのは間違いない。風変わりな少年の陶芸体験や少々の焼物知識が役に立ち、佐賀への出張は大変楽しいものだった。なぜなら、日本の焼物のルーツであり、朝鮮半島から渡ってきた技術が日本に帰化した聖地で、展示資料として手に触れ、じっくりと鑑賞できたからだ。
 この陶片は、水田の畦道の土手に露出した"もの原"(失敗した物を捨てる場所)と呼ばれるところで展示の研究用として拾ったものだ。幾層にも重なった失敗した焼物は、地層のように露出し、不思議な景観を成していたのを覚えている。今日では、私の手元で、あるときは花を活け、あるときは灰皿として現役である。呼び継ぎができるように、いくつかあったのだが、焼物好きな友達が持っていき、今では数片しか残っていない。
 唐津焼は、楽焼、萩焼と並ぶ「日本三大陶器」のひとつとしてあまりにも有名である。茶陶とも呼ばれ、昔から茶人に愛されてきた。
 ご覧の通り、何枚もの小皿を粘土や砂の目(重ねる際にスペーサーとして使う小さな団子)で積み上げ、窯詰めをし、焼成中に崩れた失敗製品である。崩れ方といい、皿の一部分どうしがコラボレーションして、オブジェと化した不思議な皿だ。唐津焼の魅力は、ざらつきと粘りのある強い土の風合い、灰釉の素朴な色合いと美しさ、そして、シャープで力強いフォルムと高台など幾つも挙げられるのだ。
 佐賀県の出張の帰りに、大分県の日田市にある骨董屋によく寄っていた。ある日、同じような陶片が、なんと1万数千円で売っていた。骨董屋の強かな商いに仰天し、その背景にある"焼物ブーム"という大衆化に脱帽した。今では遠い思い出なのだ。

#005●十七世紀の古唐津の陶片