2006年01月10日の今週の一枚

◆新春の薪の初調達◆

  今年の3月に、我が町と上田市、武石村と合併する丸子町にある廃棄雑木の貯木場へ、薪の調達に行ってきた。背後の雪をかぶった山は、湯の丸高原付近の三方ヶ峰と高峰山、浅間山である。
 数年前、軽井沢町で始められたある意味のリサイクル施策で、県内各地に飛び火しつつある有難い施策だ。薪を必要とする薪ストーブのオーナーと、廃棄雑木の処分に困っている業者や人々が利用する有意義な場所だ。廃棄雑木の処理には手間とお金がかかるが、ここに持ってくれば薪として必要な人々がきれいに持っていく。チェーンソウを担いで、冬のよい運動と思って体を動かせば、薪を買わなくてすむのである。しかも、年中、廃棄雑木を受け付けているので、乾燥度もよく、すぐ焚けるものが多い。
 ところが、今年は灯油が高騰のためか、この貯木場、既に品薄で広々としている。そういえばホームセンターでは薪ストーブが飛ぶように売れたらしい。灯油が高いので薪で暖を取る家が増えたのだろう。豊かな暮らしの一部として薪ストーブを使っている私のようなオーナーとは、異次元の意識なのである。








2006年01月02日の今週の一枚

◆大星神社へ初詣

 JR上田駅のお城口を出ると北の方向、中央市街地の背後に太郎山が聳えている。中央商店街の通りを北にまっすぐ2.2q上っていくと、この大星神社が佇んでいる。毎年、初詣している馴染みの社である。
 「大星」という名は地名として他でも見られるので、この社特有の名称でなく、ある種の地形または信仰を表すものであろうと考えられている。その昔、神社の周辺は砂や小石の混じった土で、大星河原と呼ばれていたという。また、狐に人が化かされるという伝説が残っている。子供の頃、春、秋の祭りが待ち遠しく、中学が近かったのでデート場所に使ったりと、思い出が多い。この境内から見た星が大きく美しかったので、「大星なのだ」と勝手に納得していたような気がする。
 健御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(さきのやさかとめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭神とし、社伝では延長2年(924年)、諏訪神社から分霊を勧請したもので、大星の名は大法師または大法性ともいい、朝廷から賜ったものといわれている。
 上田市北部の地籍、房山(旧房山村)と山口(旧山口村)の産土神で、科野大宮社、八幡社と並んで上田城下町の鎮守として重きをなし、庶民や藩主の信仰があつかった旧郷社である。近くに前方後円墳の双子塚古墳があり、散策して心地良い大きな社叢は、市指定 の天然記念物である。






2005年12月14日の今週の一枚

◆氷点下9度の朝

  ここ数日、雪が降り続いている。今朝、雪雲は漂っているが、まだ雪は降っていない。薪ストーブに火をつけ、コーヒーを淹れ一服する…が、ストーブの温度計が100℃から全く上がらない。ストーブよ、どうした!。寒ぶりパーティーの日に煙突掃除をしたばかりではないか…。
 ブツブツ呟きながらTVをONにすると、なんと1月末の気温という。ということは、いちばん寒いシーズンが突如としてやってきたということか?外に出て寒暖計を見ると、ご覧の通り。
 2004年9月21日の今週の一枚で、今年は暖冬か!?と、気象台の長期予報を書いたが、何のことはない大外れだ。暖冬を前提にストーブの薪の計画をしてきた…。どうしよう…。気象台さん何とか言ってくれ!






2005年11月14日の今週の一枚

◆晩秋の塩田平

 鎌倉時代から室町時代の文化財が多く残され、「信州の鎌倉」と呼ばれている塩田平の晩秋の昼下がり。
 塩田平は、信州上田市の南西に広がる少雨な盆地であり、信州最古の温泉が湧く地である。存続問題が深刻な地方鉄道・上田交通別所線、JR上田駅から別所温泉を結ぶ沿線一帯を呼ぶ。
 独鈷山の中腹には真言宗の前山寺があり、平安時代に弘法大師が開山したと伝えられ、「三重塔」は重要文化財だ。鎌倉幕府の連署であった北条義政は、当時、穀倉地帯であった塩田平に城を築いたといわれ、その城跡や北条国時が建立し塩田北条氏の菩提寺である龍光院、中禅寺薬師堂など、別所温泉に宿を取り、数泊してゆっくりと散策できる文化財の宝庫なのである。
 また、ご覧のように「山郷」そのもので、日本の原風景を見出すことが出来るのが塩田平だ。









2005年11月01日の今週の一枚

◆今シーズン、ついに初霜

 今朝の寒さはなかなかのものだった。あまりにも寒いため6時前に目が覚めたのだ。薪ストーブを焚く用意をしながら、まだ薄暗い中、玄関のポストに新聞を取りにいく。ポストの下の寒暖計は「0℃」だ。
 目を庭にやると一面が白の世界。初霜だ。悴んだ手に息を吹きかけながら、自然が作り出した小さな氷の姿をデジカメに納める。
 アトリエのある真田町の大日向では、例年10月中に初霜となる。昨年の初霜は10月28日だった。確か、秋が暖かく紅葉の調子も良くなかった。今年は11月1日である。昨年以上の暖冬となるのだろうか…。
 ここ数日、仕事でバタバタだった。世の中は、長野市長選でW沢氏再選、第3次小泉内閣の発足、K坂代議士の文部科学大臣就任など騒いでいるようだ。疲れも少々溜まり、イライラモードになったりする。が、美しいものにカメラを向けてシャッターを切る瞬間は、何物にも代えられない最高のひと時。良い気分転換となるのである。
 さて、珈琲を淹れ、パチパチと呟く薪ストーブに当たりながら、朝の一服タイムだ。








2005年10月19日の今週の一枚

志賀高原木戸池の紅葉◆

 先週の14日、レギュラー・コメンテーターを務める情報ワイド番組・テレビ信州「ゆうがたGet」の紅葉生中継で志賀高原木戸池にいってきた。
 木戸池は標高1620mにあり、深さ6mで酸性度が低い貧栄養型湖沼でコイ、フナ、ワカサギ、ニジマス等が放養されている。旧志賀湖のなごりとされ、大沼池、蓮池付近、三角池、田の原、平床原と共に広域な高原湿地帯の一部だ。鴨が湖面を散歩していたり、ボートを楽しめる池である。
 前日、番組MCのK納女史から「愛用のカメラを持ってきてください」と連絡があり、当日11時に局集合。中継ディレクターは「局内最強の雨男」との異名で知られるS田氏(そういえば、私が取材に参加したゴールデンウイークの「黒部立山特集」の1泊ロケも彼で、初日、雪やら吹雪やら雨やらでヘトヘトだった)。同行のスタッフの話では、ピンポイント天気予報で番組スタート時間から雨という。が、現地に着くと紅葉が始まったばかりという感じで、実に暖かい晴天。
 オープニングのリハーサルが始まり、K納女史が漕ぐボートに私が同乗し、何故か彼女を激写しているという演出のようだ。うら若き女性と一緒にボートに乗るなど30年ぶり…、しかし、オール捌きは私じゃない。上手く漕げるのか心配やら…嬉しいやら。ところがK納女史のオール捌きはなかなかのもので安心。この写真はその時に撮った1枚だ。
 生中継オープニングが問題なく終わってホッとしたら、にわかに雲が広がり始め何と雨。暖かな一日は一変して晩秋の高原の冷たい雨だ。拙い。フィールドコートのインナーを忘れてきた…。寒さが身にしみる状況で、2時間の番組が無事終了。翌日、各界から「安藤さん、寒そうでしたね」と…、やはりそうか…不覚だった。
 恐るべしS田ディレクター。








2005年10月09日の今週の一枚

◆浅間隠山温泉郷・温川温泉◆

  我がアトリエから国道144号を北上し、群馬県境の鳥居峠を越え、長野原町へ向う。長野原町の市街地を抜け、JR吾妻線の長野原草津口駅付近で、国道406号を高崎方面に上っていくと須賀尾峠に差し掛かる。くねくね曲がる切り通しのような峠道を10qほど行くと須賀尾の集落に出る。道路看板に鳩ノ湯温泉、温川温泉、薬師温泉と3つの温泉、ここが浅間隠山温泉郷だ。
 鳩ノ湯温泉三鳩楼は湯川の清流を見下ろす高台にあり、神経痛・痔疾・捻挫などに効くナトリウムカルシウム・塩化物硫酸塩温泉で、日帰り入浴800円。
 さらに高台の一等地には、テーマパークというか、日本の原風景リゾートというか、かやぶきの郷薬師温泉旅籠がある。広大な旅館で、団体客のバスが絶えない人気の宿のようだ。よく出来ていると思うのだが、全国各地から茅葺の建物を移築しているためか、何となく支離滅裂的な空間。しかしながら、茅葺のミュージアムと思えば納得できる造りだ。アトピー、リウマチ、婦人病、糖尿、神経痛などの効能がある湯は、ナトリウム・カルシウム・炭酸水素塩泉。日帰り入浴は何と1200円。
 残る薬師温泉白雲荘は樵宿という雰囲気で私好みか? が、湯川の辺にあり、前記の2軒から丸見えの露天風呂だ。効能は眼病・神経痛・筋肉痛・関節痛などに良いナトリウムカルシウム・塩化物硫酸塩温泉。日帰り入浴500円。
 さて、どこに入ったか…お分かりと思う。1200円出すなら、ビールをしこたま買い込んで薬師温泉に入ろう!と、同行の呑み仲間H場氏と合議決定。ビールを呑みながら1時間以上入っただろうか。実に軟らかい良いお湯だった。









2005年09月29日の今週の一枚

◆今朝、日の出直前の温度8℃◆

 朝6時ごろアトリエ玄関前の寒暖計を見ると、何と8℃。この数日の中では、かなり寒い。薪ストーブを焚きたくなる。が、薪の準備が出来ていない。TVの天気予報は、明朝は今朝以上に冷えると伝えている。冬篭りの用意を急がなければいけない。
 ところで気象庁の長期予報を見ると、向こう1か月の天候は数日の周期で変わり、平均気温は高め、降水量と日照時間は平年並らしい。
 ちなみに、3か月予報を調べると10月は天候が数日の周期で変化し、気温は高いらしく、降水量は平年並という。11月に入ると平年に比べ曇りや雨の日が多く、やはり気温は高めで、降水量は平年並か多いだろうと予報している。12月は平年と同様に晴れの日が多く、数日の周期で天候が変わり、平年並か暖かいらしい。そして降水量は平年並。
 気になる冬は、曇りや雨または雪の日が多い暖冬という。この予報、当たるのだろうか…。








2005年09月21日の今週の一枚

◆真田のアトリエに「中秋の名月」◆

 今年の中秋の名月は9月18日。暦を見ると昨年は9月28日、来年は10月7日である。旧暦の太陰太陽暦は中学校で習った覚えがあるが、太陰「月」の運行周期を1ヶ月とし、太陽の周期とのずれを「閏月」を加えて13ヶ月に調整、1ヶ月が約29.5日、12ヶ月で354日前後となる。
 さて、「お月見」といえば月見団子とススキだ。西日本、特に関西から中国地方では、十五夜は芋名月ともいい、収穫されたばかりの里芋を供える。収穫に感謝する収穫祭であり、松山に住んでいたとき、毎年、芋煮をいただいていた。地域によって独特な「お月見文化」があるのだ。
 以前から考えているのだが「月の大事典」や「月のミュージアム」、「月のまちおこし」などができるはずだ。月の運行は文化の基礎となる暦であり、占い、祭り、歳時記、文学、芸能、芸術、音楽、天文学などのフィールドで、月にかかわる文化誌を編纂する。また、地域によっていろいろな文化が残り、さらに、視点を世界に向けると様々な宗教をベースに月の文化を拾うことができる。膨大な作業となるからか、誰も手をつけていない面白いテーマなのだ。
 晴天率の高い上田市あたりで提唱してみようか…。








2005年09月13日の今週の一枚

◆高遠町の里山に佇む江戸後期に活躍した名石工・守屋貞治の墓◆

 一昨年、出した「信州休日の社寺巡り・東北信編/中南信編(信濃毎日新聞社出版局)」の続編として、共著の北沢房子氏と共に昨年の秋から、信州縁の偉人たちの墓や祀っている社めぐりをしている。この本を書くため信州の100社寺を歩いた。
 その取材時に、聞き調べた一説に驚いたのだが、信州には2万の社と2000の寺があるという。山と川、古の街道が通る広大な信州には、様々な歴史を背負った社寺が佇み、社寺巡りにハマったのだが、まだまだ0.5%にも満たない数なのである。気がつけば、壮大な歴史の迷路に迷い込んでいたのだ。
 さて、高遠町出身で江戸後期に活躍した名石工・守屋貞治は、68年の生涯で、3百数十体の石仏を残した。信州の諏訪や高遠などを中心に、山梨、埼玉、東京、神奈川、静岡、遠くは山口や兵庫に、貞治の石仏が残っている。気品に満ちながら、優しく微笑む石仏は、その殆どが50〜70cmの大きさ。「仏は石の中から現れておいでになる」という名言を残した貞治は、常に香をたき、経文を唱えながら魂を込めてノミをふるい、彫り上げたという。当時、彼の石仏は「開眼供養がいらない」と言われたほどだった。
 守屋貞治の墓を訪ねるため、ご子孫のお宅に伺ったのは、残暑厳しい今月の初旬だった。高遠町の里山に、その墓はひっそりと佇んでいた。木々の向こうには、貞治が生まれ育った小さな集落が見える。








2005年08月27日の今週の一枚

◆お盆のススキ・戸隠スキー場にて◆

 秋の七草の一つ、ススキ。漢字で書く「薄」は草が茂っている様子を表しているらしい。また、「尾花」は動物の尾に見立てたもので、鶏か狐という説があるという。その昔、家畜の飼料や燃料にも使用され生活に密着した植物であった。ネットで詳しく調べると、ススキの語源は「スクスク立つ木でススキ」とのこと。さらに、花言葉があるようで、生命力が強く強靭な植物ということから「勢力・活力」だそうだ。そうだったのか…と思い出すのは、「昭和枯れススキ」という暗いイメージの歌。「枯れても勢力がある」という解釈もでき、意外と「希望の歌」だったのかもしれない!?
 さて、植物学的には、全国の草地に生育する多年生草本で、朝鮮・中国・台湾・マレーシアなどにも分布する。路傍・荒れ地・堤防法面・牧草地・スキー場など、年に1〜2回刈り取りが行われる草地に生育し、草丈は2mほどにもなる。地下茎がないので、株を形成して生育する。葉の中央には白い筋がある。縁には鋭いギザギザがあり、時として手を切ってしまう。花は8月頃から咲き始め、花枝は横に開くが、やがてすぼんで尾状になる。 









2005年08月09日の今週の一枚

◆名古屋・栄フィールドワーク「ナゴヤ巻き」を探す◆

 絶好調の名古屋パワーを代表する「ナゴヤ巻き」にスポットライトが当たり、既に2年ほど経っただろうか。
 そのファッションの定義は「ピンク×ブランド×ナゴヤ巻き」で、常に男性目線を意識したかわいい系…という。ゴージャスだけど派手すぎず、あくまでキュートが大前提。そして、ピンクをどこかに取り入れたコンサバスタイルが基本らしい。以前ほどブランドバッグを持つ女性が少なくなったといいながらも、名古屋嬢にとってブランド品は"生活必需品"。人気は「ルイ・ヴィトン」のようだ。派手、ブランド好きのイメージがある名古屋嬢は、「かっこいい」より「かわいい」が褒め言葉なのである。
 さて、名古屋の栄でフィールドワークをしてナゴヤ巻きを探す。いない。ナゴヤ巻きの流行も2年ほどで終わったのか?!
 いろいろな方面でインタビューしたところ、ここぞと気合の入った日にナゴヤ巻き(ナチュラルでゴージャスで柔らかな巻き髪)をするらしい。










2005年07月14日の今週の一枚

◆八ツ場ダムに水没する群馬県川原湯温泉「共同湯・王湯」◆

 群馬県川原湯温泉は長野原町の東、吾妻町境にある。最寄り駅はJR吾妻線の川原湯温泉駅で、駅から崖に沿った坂道の入口には「ダムに水没する温泉街」とあり、10分ほど上ると湯煙が立ち上がる温泉街に着く。
 歴史は古く、1193年に源頼朝が浅間山麓で鷹狩りの際に崖の中腹から湯煙が上がっているのを見つけたのが始まりとのこと。温泉街には、頼朝が入湯の際に衣をかけたと伝わる「衣掛け岩」も残っていたというが、道路を拡張するさいに土中に埋められてしまって、今は見ることができない。江戸時代には草津の上がり湯として湯治客で賑わったらしい。正月の20日には、今から400年ほど昔にいったん枯れた温泉が復活したことを祝ったのが始まった奇祭「湯かけ祭り」があり、ふんどし姿の若者が川原神社にお湯を奉納したあと、紅白に分かれてお湯をかけ合い、温泉の恵みに感謝して、無病息災を願う年頭の儀式だという。この共同湯・王湯の前で祭りを執り行う。
 大変残念なことにあと5年で、八ツ場ダムに沈む。建設中の八ツ場ダムは、利根川流域の洪水調節と1都4県への水道用水の供給などが目的の重力式コンクリートダムで、国交省は2007年度の本体着工、2010年度の完成を目指している。完成すると今の温泉街は背後の高台に移転する計画になっている。









2005年06月25日の今週の一枚

◆食品商社Nガレイの「2005夏期・総合食品フェア」◆

 先日、呑み仲間の菅平のシェフ・M井勝君とともに、長野市の松代町Rイヤルホテルで開催された「2005夏期・総合食品フェア」(県内大手食品商社Nガレイ主催)に行ってきた。7〜8年前から、飲食店開発の参考と思い、M井勝君に頼み込んで一緒に見学している。とはいっても、ここ数年はバタバタしていて会場に足を運べなかった。
 さて、何やらイベントタイトルを見ると、春、夏のファッションショーのようだが、実際、冷凍やレトルト食品をはじめとした業務用食品、食材の「流行」(ファッション)」を示す「ショー」なのである。
 ありとあらゆる業務用食品、食材を試食しながらメーカーの担当者の話を聞いていく。実に便利で、本当に美味く、毎回、なるべく空腹にして参戦するのだが、どうしても食べ過ぎてしまう。ふぅぅぅ〜。
 一日たっても麺がのびずにコシのある冷凍うどん、揚げたてサクサクのトンカツ、パイの三つ編み包みのローストビーフは冷凍とは思えない…、パッと振るだけで、イタリアンから中華、韓国風に変身させてしまう調味料、どう考えても手作りとしか思えないケーキ…。それらすべてがアッという間に提供できる。缶切りとハサミと電子レンジ、湯煎鍋があれば、誰でも「名シェフ」になってしまう時代なのである。









2005年06月14日の今週の一枚

◆上田市松尾町商店会の「フリーペーパー真田坂」、6月15日、発刊!◆

 我が事務所の業務に「まちおこし」のプランニング、プロデュースがあり、様々なプロジェクトにかかわってきた。
 この実績を、知人のコットン・サトーのオーナー佐藤隆平氏が知り、佐藤氏が役員を務める上田市の松尾町商店会(会長は但馬軒オーナー佐藤高和氏)の役員会で、昨年から「商店会活性化」の勉強会を数回行い、その後、アドバイザーのようなことをやっている。
 勉強会の中で「商店会が独自で、商店会の現状を正直に伝え、街おこしの光と影や消費者の本当の声を掲載する写真グラフ形式のフリーペーパーを発刊するのも一つの手法」と投げかけたところ、会長をはじめ皆さんが興味を示し、その後、組織内に編集部会を発足させ、フリーペーパーの研究・勉強が始まった。 半年ほど議論し、取材活動を行い、明日6月15日(2ヶ月に1回の発行)に発刊することとなった。
 私が以前から提唱している「まちおこしジャーナリズム」を理解していただき、紙面も、かなり画期的なコンテンツで構成している。事業計画と編集委員を商店会教養部の佐藤氏をはじめとする会員が担当し、企画のアドバイスと編集・取材・執筆を私が担当しているが、取材は会員の方も参加してフリーペーパー作りのワークショップとしている。将来は、商店会の皆さんが行うことになる。
 コンテンツの内容やプロジェクトの経緯はまちおこしレポートと、17日の「州庵の小言甘辛日記」に詳しくある。








2005年05月30日の今週の一枚

◆初夏の上田市中央商店街・松尾町商店会◆

 ご覧のように長野県の3番目の都市、上田市の中央商店街も空き店舗だらけだ。
 甘辛日記で我が町の合併問題として上田市の概要を紹介したと思うが、人口は12万人強、来年3月には丸子町、真田町、武石村と合併し16万6千人ほどの都市となる。
 全国的に商店街空洞化問題にスポットライトが当たって久しい。上田市の中央商店街も、ご多分に漏れず、空洞化で悩んでいる。
 中央商店街はJR上田駅側から、天神商店会、松尾町商店会、中央一番商店会、原町商店会、海野町商店会からなる。
 JR上田駅は長野新幹線と在来線(3セク路線)の乗換駅、また、信州の鎌倉・別所温泉、上信越国立公園の菅平高原という観光地への玄関で、上田城跡公園や城下町散策のため乗降客が多い。このため、天神商店会と松尾町商店会は比較的元気な商店街だ。
 この二つの商店会は、個性豊かなオーナーが営む専門店が多く、老舗の誇りと商店会の連帯感の強さが見られ、他の商店会とは違った足腰の強い商店会となっている。
 現在、松尾町商店会では、私も参加して、面白い「商店会活性化策」を進行中。6月15日に明らかになる。近々、甘辛日記か、新しいコンテンツとして紹介したい。







2005年05月18日の今週の一枚

◆なごり桜◆

 昨日、ある賃貸マンションの建築プロジェクトの打ち合わせ、また、酒造メーカーや地元特産品のパンフレット制作のデータ入稿などがあり、上田経由で長野市の印刷屋と建築設計事務所に行っていた。
 アトリエ周辺は朝、氷点下まで冷え込み晴天。上田と長野も晴天で、午前中からどんどん気温が上がり、初夏のような暑さだった。
 帰路は長野市の保科から峠を上る真田への最短コースを使い、標高1100m地点、菅平ダム周辺の桜の様子を見ながらアトリエに向う。
 ダムの南西周辺の山桜は、日当たりがよい場所で既に散っていたが、ダム下流の北東の谷には、ご覧のような「なごり桜」。背後の山のピークは、上信越国立公園に聳える日本百名山の一つ、四阿山。
 真田町の桜の開花は、上田市境付近(標高600m)で先月の22日頃だった。ここ一週間寒かったので、今年は3週間以上、桜が楽しめるようだ。







2005年05月07日の今週の一枚

◆山の春とタンポポ畑◆

 アトリエのある真田町の大日向に、ようやく本格的な春が訪れたようだ。
 山に目をやると山桜、コブシなどがいっせいに咲き、広葉樹の芽吹き、唐松の萌黄色など実に美しい。春の優しさが感じられる色だ。この季節ほど、「自然界にはこんなに色があるのか―」と感心する。
 散策の途中、手前の西洋タンポポのお花畑と山のコントラストが面白く、シャッターを切った一枚だ。
 ところで、春到来を告げる「西洋タンポポのお花畑」。一見、きれいに見える。が、休耕地が荒れていることを示している。ここ数年、この西洋タンポポが増加している。
 住民の高齢化率が高く、農業従事者の跡継ぎがいない、過疎化が止まらない山間部集落の諸々の問題を暗示する「お花畑」なのである。







2005年04月25日の今週の一枚

◆長野市城山公園の花見小屋◆

 城山公園は善光寺境内の東隣にある公園で、春には約1000本のソメイヨシノやシダレザクラがいっせいに咲く。高台に位置し眺望もよく、この時期、花見小屋がでる花見の名所で、先日、呑み仲間と出向き、桜と酒を楽しんできた。
 今年の開花は平年通りだった。14軒の小屋は市内の飲食店主らが出店し、その歴史は50年以上という。花見席では酒類や焼き鳥、おでん、焼きそばなどを楽しめ、かなりの賑わいだった。
 小屋の営業は4月6日から本日(25日)までだという。









2005年04月17日の今週の一枚

◆霜が降りた愛車サファリ◆

 現在、朝5時30分。新聞を取りにいく。晴天だ。我がアトリエ玄関外にある寒暖計が氷点下3℃を指している。愛車サファリには、しっかり霜が降りている。
 昨夜は満天の星空で、少々、北風が吹いていたので、今朝は冷えると思っていた。今日の天気は、長野県北部の山間部では霜に注意、終日晴天、最高気温は12℃との予報だったので、今のところは当たっているようだ。果たして最高気温は何度になるのだろうか。
 長野県の天気予報は長野から飯山などの北部、上田から佐久、松本、諏訪エリアの中部、伊那から飯田、木曽方面の南部の3区分で出される。真田町はこの区分で中部となる。しかし、アトリエのある集落・大日向は標高900mで緯度も高く、北部の山間部の天気予報に近い気候となる。また、経験に基づく観察が重要となるのが山間部の天気であることは、言わなくてもお分かりだろう。







2005年04月04日の今週の一枚

◆我がアトリエの庭に咲く福寿草◆

 福寿草はキンポウゲ科フクジュソウ属の多年草だ。
 晩秋に芽を出し、冬に花が咲き晩春には種を落とし枯れてしまい、種子から花を咲かせるのに5年以上かかるというから、繁殖は容易でないという。このアトリエの大家が、その昔、植えたらしい。
 福寿草は春一番新年を祝う花として喜ばれ、別名ガンジツソウ(元日草)。北国ではマンサクと呼ぶこともあり、福を招く、縁起の良い花として知られ、福寿草の名ができたという。短い根茎には黒褐色の堅い太い根が多数あって、春一番に咲く花径は3cmほどだ。花弁は多数あり、黄金色に輝き、暖かさとともに茎を伸ばす。花が終わると金平糖状の果実をつけ、6月頃には葉が枯れて休眠する。
 本州では信州から北に多く、東または北斜面の乾燥のひどくない落葉樹林を好む。
 尚、信州では「福寿草祭り」が白馬村の姫川源流自然探勝園と、4月1日に松本に合併した旧四賀村で行われる。







2005年03月12日の今週の一枚

◆春まだ遠い菅平で見つけた「雪庇」◆

 菅平から須坂市へと下る国道406号線の標高1100m付近から見えた「雪庇」。
 数分間の雪中行軍をして撮影した。長さ5mほどで、40cmほど飛び出した雪庇だ。
 須坂方面から駆け上る強烈な冬の季節風が作り出した。雪庇を下から見上げると、自然が作り出した冬の美しい造形のひとつに挙げられる。
 しかしながら、この雪庇、実に厄介で恐ろしい。雪崩を引き起こすトリガーにもなれば、冬山を登る者には転落遭難事故に直結する地獄への入口ともなる。雪庇の付近では稜線上にいるのか、下が空洞なのか分からない。
 今シーズン、冬山の遭難死亡事故は、この雪庇を踏み抜き転落したという原因が殆どだった。冬の里山歩き(本来、するものではないが、里山ブームになって中高年が冬季にも行っているようだ…)でも遭難者が出た。
 ちなみに、このように雪庇を撮影する場合、注意深く用心して近寄る必要がある。というより、望遠レンズを使って撮影し、絶対、近寄らないようにしよう。







2005年03月01日の今週の一枚

◆長野市若穂牛島の千曲川に佇む「水神」◆

 ここは千曲川と支流最大の犀川が合流する地点、長野市東部、若穂牛島地区に架かる落合橋ほど近くの河川敷。小さな祠「水神」が二つ佇む風景。
 現在、ある出版社の装丁の仕事を手がけている。その本は「千曲川流域に暮らした人びとの様々な願いを、川辺に佇む石造物を訪ねて歴史・文化の散策をする」というもの。編集者の手元にある表紙用の写真候補が今ひとつだったので、この千曲川と犀川の合流点に撮影に行ったときの一枚である。
 千曲川水系の流域に暮らした人びとは、川の恵みを生かして豊かな農産物などの生産をあげ、一方では洪水など水害の脅威と対面し、自然の力の光と影とともに営みを続けたのだ。そして、川に対する畏敬の念をもって水神を祀り、犠牲者の霊をとむらう供養塔や地蔵菩薩を建てて供養を行ってきた。我々が川辺を散策して時々出会う石造物には、流域の人びとの願いが込められていたのだ。







2005年02月15日の今週の一枚

ビジネスホテルに「天然温泉」夜中の宅配◆

 長野駅前で一杯やり、二次会の会場へ向っている。この時間になると、長野駅から北へと延びる長野大通りに、人通りは殆どない。タバコを吸いながら南千歳交差点に出て通りを渡る。交差点の北東角のビジネスホテル前にタンクローリーが停まっている。
 ボイラーの給油はこんな時間にするのか…と思いながら、タンクローリーの後姿を見ると、松本ナンバーで温泉マーク。なんとまあ「天然温泉の宅配」である。
 翌日、インターネットの検索エンジンで「長野駅前、ビジネスホテル、天然温泉」をキーワードに調べてみると、「アイランドホテル/長野駅より徒歩4分。天然温泉使用の大浴場が大好評です。ビジネスや観光の拠点に、是非ご利用下さい。」とヒット。
 なるほど、長野駅前で松本の温泉(浅間温泉か?)を楽しめることがウリなのか。
 各地の温泉地には「公共の温泉スタンド」を見ることがある。地元住民が軽トラックに乗せたタンクで運び自宅で楽しんでいると聞くが、ビジネスホテルへ、しかも松本から運ぶとは「ビックリ」だ。








2005年02月08日の今週の一枚

渓流釣り解禁を待つ一級河川神川支流の和熊川◆

 我がアトリエの北方裏山の四阿山側の谷に、東西に流れる和熊川。愛車サファリの標高計が1,200m地点を指している。この先はサファリでも進めない雪深い林道だ。
 水の源は、我が集落の入口から4qの地点で、群馬県嬬恋村に聳える角間山の北西斜面の谷。実に美味い水で、このアトリエがある集落の簡易水道の水源となっている。自然が色濃く残り、天然の岩魚が数多く棲んでいる。
 ところで、来週の16日、我が町を含む上田市と小県郡内の千曲川水系河川は「鱒類渓流釣り解禁」なのである。
 既に、各ページでご存知と思うが、西洋毛鉤、フライフィッシングを趣味とする私にとっては、心躍るシーズンの到来だ。首都圏にも紹介されている岩魚のポイント。如何だろう、たまには、渓流釣りなどを楽しんでは…。
 ちなみに、遊漁料は1日券が1,260円、年券が6,300円、小学生以下は無料だ。






2005年01月28日の今週の一枚

厳冬の菅平牧場◆

 ここは標高1,500m地点の菅平牧場。現時点の気温−13℃、積雪量180cm。
 菅平高原は本州の中で一番寒冷な場所で、4年前の2001年1月19日の朝は−29℃。1979年のアメダス統計開始以来の最低気温を記録する。この日、我がアトリエの玄関外の寒暖計は−23℃、さすがに目がテンとなった。
 今年の菅平は、すでに1月3日−23℃、また、1月24日に−22.3℃を記録。さらに、1月21日には、長野県では北部、中部の標高の高い所で記録的な大雪になり、数時間で菅平112cmの降雪量となった。やはり、アメダスによる観測開始以来、1月としては最も多い積雪の記録となる。
 ところで、この菅平牧場は120年の歴史を持っている。信州畜産の歴史を刻んできたともいえるのだ。花の百名山・根子岳の中腹に広がり、明治18年、北信牧場としてスタートした。その広大な草原は1566haを誇っている。今日、長野県内最大なのは、歴史からも頷ける。
 毎年5〜10月に多数の牛馬が放牧され、緑の草原や白樺林の中で、牛たちがのんびり草をはんでいる光景はとても和やかだ。おいしいアイスクリームや牛乳は登山者の間で有名だ。







2005年01月20日の今週の一枚

◆東京芝「増上寺」◆

 増上寺は、浄土宗第八祖聖聡(しょうそう)上人によって、明徳四年(1393)、武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町付近に開かれた。戦国時代にかけ、浄土宗の東国の要として発展し、安土桃山時代、徳川家康が関東の地を治めるにあたり、天正十八年(1590)、徳川家の菩提寺となった。
 慶長三年(1598)、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康の手厚い保護もあり、増上寺は大隆盛へと向う。
 家康は元和二年(1616)増上寺にて葬儀を―との遺言を残し75歳で歿した。家康以降、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六将軍の墓所が設けられ、各公の正室と側室の墓も造られた。その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれている。
 幾多の大火、先の大戦の空襲などで無に帰したが、昭和50年(1975)に建立されたのが今日の姿である。
 背後に聳えるは、ご存知、芝浦の東京タワー。寺の壮大な歴史を思うと、何やら…タワーが徳川家の巨大多宝塔に見えてくるのは私だけか…。







2005年01月09日の今週の一枚

◆吹雪の日に一瞬の青空◆

 明日は成人の日。元旦からほぼ3日に1日雪が降っている。大晦日から元旦にかけて大雪で、初日の出を見ることもできず新年から雪掻き大会。本格的な冬がきたのか…気象台も低温注意報を出しっ放し。が、晴れるとやはり暖かい。暖冬なのだ。
 今朝、8時ごろから雪が舞い始め、小一時間ほどたつと吹雪になった。天気図には現れていないが小さな低気圧と前線が通過したようだ。こんな日は薪ストーブを強めに運転する。吹雪をおこす季節風が煙突から逆流し、屋内がスモーク状態になるからだ。
 午後3時ごろ部屋の中にストックしておいた薪がなくなったので、庭に薪を取りに行く。アトリエのある標高900mの真田の山奥は、北東から南西の谷。この時間を過ぎると西の山に日が暮れるのだが、一瞬、辺りが輝いた。
 路面を見れば吹雪いているのが分かる。しかし、あっという間に青空が広がり、西に傾いたやさしい日差しが降り注ぐ。気まぐれの強い季節風が雪雲を払いのけた。
 急いでカメラを取りに行く。シャッターを切る指が凍えている。ところが、何とも得をした気分になった。
 四季の中で冬が美しいのは、厳しい大自然の営みと裏腹の刻一刻と変わるきれいな光景があるからだ。






2004年12月29日の今週の一枚

◆年の瀬の雪◆

 年の瀬にようやく冬がやってきた。ここ数日の寒気で信州真田町は雪に見舞われている。
 深夜の雪は本当に美しく、ついつい雪見酒をやっていた。アトリエ内は薪がパチパチとつぶやき、ストーブが程よく暖かい。原始的な文明の利器で温まっているが、自然現象を前にして、人間が如何に小さいかを実感する一年であったような気がする。
 この前の一枚で日本最大級の断層「中央構造線」をUPした矢先、スマトラ沖地震の巨大津波が発生した。悲しいかな被害者はネズミ算式に増えていく。何万人になるのだろうか。心からお見舞いを申し上げる。






2004年12月07日の今週の一枚

◆長谷村溝口の中央構造線露頭◆

 天竜川最大の支流である三峰川「美和ダム」中央付近の長谷村公民館の裏に、この「中央構造線の露頭」が公園として整備してある。溝口露頭は中央構造線の最北端に当たり、重要な露頭といわれている。
 中央構造線は日本最大級の断層である。大きな断層は、その長さ、断層面に沿うズレ量の大きさなどがポイントで、北は長野県諏訪市の杖突峠から始まり、長野県南部を縦断し、静岡県に抜けてから、紀伊、四国、を貫いて、九州まで達し、総延長は1000キロを超える。また、ズレの大きさも20キロを超えると考えられている。一般的に、断層付近は岩石が破砕され、浸食によって谷地形になる場合が多い。ところが長野県内には、このような見事な断層露頭が多く、地震列島日本の素顔ともいえる中央構造線を観察できるように公園として整備されている。
 写真は、溝口露頭を南側から撮影したもので、向かって右側の黒い部分が西南日本外帯に属す三波川帯の結晶片岩類(石墨変岩)、左側の茶色い部分は西南日本内帯の岩石という説明があった。この露頭の特色は、三波川帯の岩石と領家帯の岩石の間に、内帯側の石の貫入岩が挟まっていることという。






2004年11月18日の今週の一枚

◆鉄道橋・碓氷第三橋梁「めがね橋」◆

上野から長野を結ぶ信越本線の最大の難所だった「碓氷峠」は、群馬県横川駅〜軽井沢駅間にある。峠越え部分は長野新幹線の開通で廃止になり、この鉄道橋は峠のほぼ中間にある。
通称「めがね橋」と呼ばれ、正式名は「碓氷第3橋梁」。長さ91m、高さ31m、4連アーチをもつ美しい橋梁は、レンガ造りでは日本最大規模だ。明治25(1892)年に約200万個ものレンガを用いて築造され、当時はアプト式列車が走っていた。
平成6(1994)年、丸山変電所跡(写真ギャラリー2)などの碓氷峠鉄道施設は、国の「近代化遺産・重要文化財」に指定され、横川駅周辺には「碓氷鉄道文化むら」という鉄道公園が開園した。周辺一帯には遊歩道もあり、橋の上を散策することもできる。
上信越道松井田妙義ICより旧R18経由、軽井沢方面へ10分ほどの群馬県碓氷郡松井田町坂本にある。







2004年11月05日の今週の一枚

◆群馬県霧積温泉「きりづみ館」◆
国道18号から碓氷旧道を横川へと下り、「霧積温泉入り口、坂元の町終り」から右に入る。ここから約9Km林道のような県道を進むと霧積温泉だ。
かつて軽井沢が栄える前のリゾート地で、明治の中頃には別荘や商店が建ち、一時期大発展したという。今はその面影もなく群馬を代表する山奥の秘湯となっている。
「きりづみ館」は明治中頃の繁栄の歴史を伝える宿で、庭先で大きな水車が回り、大きな栃の木のうろを使った囲炉裏がある玄関横の大座敷、そしてハイカラな六角のお風呂(明治時代の古図にある共同浴場を再現した六角形の建物)など実に趣がある。与謝野晶子が「はつあきの霧積山の石亭 六方の窓霧にふさがる」と詠んだ宿である。
鼻曲山登山、旧中山道碓氷峠にある熊野皇大神社(軽井沢)までのコースなどの自然歩道ハイキング、霧積川では渓流釣りが楽しめ、近くの小根山森林公園は野鳥の種類日本一という。






2004年10月28日の今週の一枚

◆この秋初の氷点下の朝◆
今朝、あまりにも寒く6時過ぎに目が覚めてしまった。珈琲を淹れながら、玄関のポストに新聞を取りにいく。ポストの下に寒暖計を取り付けてあり、毎朝確認するのが日課だ。何度かと…思い見てみると「−3℃」、目が点となる。霜で一面が白の世界。ここまで冷えると、新潟中越地震の被災者は大丈夫か…、土砂崩れに巻込まれた車の中に取り残された3歳の女の子の救出はうまくいっているだろうか…と心配してしまう。
気を取り直して、薪ストーブを焚くため庭に薪を取りにいった。裏山の頂上は雪、北方面に望む菅平の四阿山と根子岳も真っ白。近くの森に目を移すと、紅葉が中途半端で唐松がまだ青い。明らかに季節の移り変わりが異常だ。「天災が多い年」と、森が暗示しているのだろうか…。






2004年10月19日の今週の一枚

◆千曲川の車止めした三輪自転車◆
「信州休日の社寺巡り」の続編企画として、「祭巡り(仮称)」と「墓巡り(仮称)」の取材を進めている。先日、この取材の一環で長野市松代町の大鋒寺を訪ねた。真田信之と長年仕えた腹心の鈴木右近の墓があり、千曲川を挟んで川中島古戦場である八幡原史跡公園の東対岸に佇む寺である。近くの千曲川河川敷に、武田信玄に仕えた希代の戦略家・山本勘助の墓があると聞き、写真を撮りにいった。その途中、見つけたのがこの風景である。三輪自転車の前輪の車止めを見て、思わずシャッターを切る。いくらなんでも車止め(石ころを利用)とは…と思い辺りを見回すと、オーナーと思しきお母さんが畑で精を出している。4コマ漫画のようなストーリー…「以前、三輪自転車の止め方が悪く土手に落とし、お母さん1人で持ち上げるのに苦労したのだろう。以来、車止めをしている」が思いつく。たぶん当たりだろう。






2004年10月04日の今週の一枚

◆平床大噴泉公園『ほたる温泉』◆
もうもうと湯煙を上げる志賀高原の「平床大噴泉」。平成3年、湧き出したのが「ほたる温泉」で、噴泉の周りは温泉公園として整備されつつある。この温泉の源泉は、熊の湯スキー場にある志賀プリンスホテルの社長が、夢枕に現れた亡き父親からの「湯殿山の神様のお告げ」を聞き、それに従って掘ったところ温泉が湧き出した―と、当時、話題を呼んだ。
志賀プリンスホテルでは、このほたる温泉を引き、野天風呂「長寿乃湯」として無料で開放している。志賀プリンスホテルの裏手、別館の横に建てられたよしず張りの湯小屋の中にあり、4人ぐらいが入れる大きさという。次回、この温泉を楽しもうと思っている。ちなみに、ホテル内の展望風呂も日帰り入浴でき、こちらは9〜17時までで、料金は1000円とのこと。






2004年9月23日の今週の一枚

◆毛無峠から見る小串鉱山跡◆
毛無峠は破風山(1999m)の東1`付近、標高約1800mだ。ラジコングライダーを飛ばすグループが気持ちよさそうに楽しんでいた。ここから破風山への最短登山コースがあり、眺めは最高で、土鍋山、浅間山が素晴らしい。しかしながら、すぐにガスが出てくる厳しい山の天候が繰り広げられる峠だった。この気象が毛無峠を育てたのだろう。パノラマは「不毛の地」というイメージがピッタリ。峠は下りのみで入口にはポールと「一般者走行禁止」の看板がある。路肩は崩れ、落石がそこらじゅうにあり、九十九折に下っていくダートコースの向うには、鉱山跡(左側の砂漠のような空間)が見える。硫黄を運んでいたトロッコの錆付いた鉄塔がポツンと佇み、急峻な砂山は日々崩落を続けている。本当に不思議な風景だ。ラリーライセンス程度のテクニックが必要なダートコースなので、下りずに峠の上から展望することをお勧めする。






2004年9月08日の今週の一枚

◆気になる蕎麦畑◆
 アトリエから長野市に向かう際、菅平口が近いこの集落の場合、菅平を通っていくルートが最短だ。菅平の風景となると、スキー場と広大な高原野菜の畑を連想するが、最近は転作で蕎麦を作っている畑を見る。以前からなぜ蕎麦を作らないのか不思議だった。火山灰の黒土、良質な水、なにより標高がある。
 この蕎麦畑は大松山スキー場の付近にあり、ここ数ヶ月、蕎麦の成長を楽しみに観察しながら長野へ通っていた。蒔かれた頃は天候が安定していたが、8月あたりから雹が降ったり、台風の強風で倒れたりと、心配のタネが多い。昨日から今朝、台風18号が県内に与えた強風による影響が気になり、テレビ信州への道すがら様子を見てきた。ご覧の通り、大変な状況である。






2004年8月26日の今週の一枚

◆裏の畑に子タヌキ出没◆
 裏の畑に食べ頃のトウモロコシを荒らしにきた子タヌキ(ホンドタヌキ)。なんと頭がいいのだろう。2頭でやってきて、巨大なトウモロコシの根の部分を掘って倒し、食べるという共同作業。一匹が掘ったと思ったら、もう一匹が立ち上がってトウモロコシを倒そうと踏ん張る…連係プレーに脱帽した。
 図鑑でタヌキを調べると、哺乳類・哺乳綱・食肉目・イヌ科の動物で、頭胴長は48〜60センチ。郊外の人家の近くから低山地まで棲息し、ネズミ類・ミミズ・両生類・爬虫類・昆虫類・果実などを食べ、雑食傾向が強い。家族の絆が強く、ほぼ一年中つがいや血のつながった個体同士で生活する。アナグマが掘った穴などを利用して、春に3〜5頭ほどの子を産む。なおホンドタヌキとエゾタヌキという亜種がある。







2004年8月18日の今週の一枚

◆山間のアトリエに赤とんぼ◆
 先月末あたりからアトリエの周辺に赤とんぼが飛び始めた。これはアキアカネだ。赤とんぼと呼ばれるトンボたちは、水辺で羽化した後、長距離を飛行して山地に入り、山頂付近や稜線に集まって夏を過ごす。秋風が立つ頃になると再び群をなして低地に降り、交尾産卵を行なう。
 一般的に赤いトンボは全て「赤とんぼ」なのであるが、実は様々な種類がいる。よく見るのはナツアカネとアキアカネ、羽の先端が黒いシノメトンボなどである。この他にミヤマアカネ、ヒメアカネなど、十数種類以上の赤とんぼがいるのをご存知だろうか。
 ナツアカネとアキアカネはそっくりだ。羽の付け根の縞模様を見れば分類できるが、名前からすると、夏に飛んでいるのがナツアカネで、秋に見かけるものがアキアカネと思ってしまう。しかし、両方ともに6月頃から11月頃まで見ることができる。分かりやすい見分け方は、初夏から盛夏にかけて見られる赤いトンボはナツアカネ、夏場にあまり赤くないのがアキアカネと覚えておけばいい。






2004年8月7日の今週の一枚

◆京の真田紐屋はん「江南」◆
 昨年の夏、取材した国内で唯一の真田紐屋「江南」のサンプル棚。創業は16世紀中頃というから老舗中の老舗である。
 真田紐とは、戦国時代の武将、真田幸村が作り始めたという説が有名だ。が、その歴史は古く、平安時代まで遡り、奈良の正倉院に御物が収蔵されている。名前の由来説には、戦国以前の句に見られる狭い幅の布を表す「狭機(さのはた)」(※現代の狭織とは別物)が転じた説、チベット語で紐を意味する「サナール」を語源とする外来語説など沢山ある。
 戦国時代には各国の武将達が地場産業の一つとして、領地の民に普及・奨励し、上納された後、村民、家来や御庭番などが他国に行商、その傍ら緒国の情勢を探らせていたといわれている。当時、主に刀の下げ緒や鎧などに使われ、江戸時代に入ると茶道具を仕舞う桐箱等に使われてきた。
 真田紐は縦糸と横糸を機(ハタ)で織る「織物」で、複数の縦糸を三ッ編みの様に組む「組み紐」と異なり、大変丈夫な紐で、山の強力さんや画商、行商の重い荷物を縛る用途で今日も需要があるという。戦前まで長野県・大阪府・京都府・和歌山県などで産業として発展していたが、戦後になると、長野県や大阪府・和歌山県などではランプの芯製造業やタオル製造業などに転身し、壊滅状態となった。







2004年7月28日の今週の一枚

◆上田交通別所線・別所温泉駅◆
 上田交通別所線は塩田平の田園風景を背景に、別所温泉〜上田駅間を結び、地域の通勤通学の足として、また「信州の鎌倉」別所温泉、塩田平をめぐる観光路線として、それなりに全国区で知られている私鉄路線である。全長12キロ弱、その間13駅あり、大正ロマン漂う終着駅の別所温泉駅までの所要時間は約30分。
 この路線の前身、上田温泉電軌は大正9年に設立され、同10年に別所線と青木線を開業する。設立には東急電鉄会長となる青木村出身の五島慶太が指導、バックアップをしたという。その後、戦時統制により丸子鉄道と合併。昭和33年、大手私鉄・東急グループが経営に参加し、同44年、現在の上田交通となる。最盛期には、この別所線の他に、真田町をつなぐ北東線、青木線、丸子線など5路線あり、東信を代表する鉄道だった。しかし、道路網の整備とモータリゼーションの進展で、次々と路線を廃止し、別所線のみが残った。








2004年7月21日の今週の一枚

◆国の無形民俗文化財に選択の「岳の幟」◆
上田市の別所温泉で営まれている雨乞いの奇祭、国の無形民俗文化財に選択されている「岳の幟」は、今年、500周年を迎え7月18日に執り行われた。この祭りは、青森県の岩木山神社神賑祭・羽山籠り、福島県の木幡の幡祭とともに、日本三大幟祭の一つと言われている。
明方の大雨の中、別所温泉の正面奥に聳える夫神岳(上田市と青木村の境の山、1,250m)頂上を目指し、地元住民が登り、雨乞いの神である九頭竜権現を奉る祠に反物を奉納してご来朝を仰ぐ。その後、竹竿に色とりどりの反物を結びつけて幟のようにして持ち、夫神岳から下り別所の集落を練り歩く本祭の「山下り」が行われた。
今年は、例年の1.5倍となる約90本の色鮮やかな幟が別所温泉の空を飾り、沿道はカメラマンや宿泊客ら約1000人が詰めかけた。







2004年7月13日の今週の一枚

◆錦の天神さんと呼ばれる錦天満宮◆
京の台所・錦市場の東端に位置し、祭神は学問の神様・菅原道真だが、学問だけでなく商売繁盛にもご利益があると言われている。錦小路の由来の神社かと思っていたが、10世紀ごろ別の場所で創建されたものを秀吉の都市計画によって移したという。いろいろな意味で、京都らしい観光名所の一つとして有名だ。それは、錦通り商店街にある鳥居の両端がビルの2階に食いこんでいること。また、境内に湧き出る「錦の社御香水」は、保健所お墨付きの名水で、水温は年中17〜18度。ペットボトル持参の参拝客が多いこと。さらに、獅子舞ロボット(アームロボット)が奉納され、なかなかの動きで参拝客を迎えることなどである。祇園祭はこの週末の17日だ。







2004年7月7日の今週の一枚

◆菅平から望む根子岳(左)と四阿山(右)◆
 長野県と群馬県との境に聳え立つ標高2,207mの花の百名山「根子岳」と、標高2,354mの日本百名山に数えられる名峰「四阿山」。四阿山は高山植物が多く、特別記念物のミヤマモンキチョウに出会えることもある。山頂は北峰、南峰の二股を成し、北峰に三角点がある。南峰には、信州祠と上州祠が、それぞれ長野県側、群馬県側を向いて立っている。山頂からの360度の眺望は素晴らしく、草津白根山や谷川岳、バラキ湖、浅間山などが北から東に、南へ目を向けると八ヶ岳、富士山、西には北アルプスの山々と、見飽きることはない。菅平高原はこの南西の裾野にある。







2004年6月29日の今週の一枚

◆妻籠宿・脇本陣奥谷 侍玄関◆
 妻籠宿は中山道と飯田街道の分岐点に位置し、古くから交通の要所として栄えた。昭和43年に町並みの保存が始められ、昭和51年に国の重要伝統建造物保存地区に選定される。全長約500mの町並みは、江戸時代の面影を残し、懐かしさと郷愁を感じる。脇本陣奥谷は、庄屋、問屋を代々務めた林家の旧宅を歴史資料館として公開している。藤村の初恋の人で後に林家に嫁いだおゆふさんの愛用品や、絶筆となった藤村の貴重な資料を展示。脇本陣奥谷と歴史資料館、そして妻籠宿本陣は、南木曽町博物館として整備されている。







2004年6月14日の今週の一枚

◆新鹿沢温泉・鹿澤館◆
 新鹿沢温泉は群馬県の西南部、吾妻川の支流湯尻河畔にあり標高1200m、鍋蓋山の裾野丘陵を背にして、北東方面には嬬恋高原をはじめとする広大なパノラマが広がる。湯尻川の上流となる南には、棧敷山・篭ノ登山、東には村上山の峰続きに浅間山の噴煙を望み、北方には白根山・四阿山の雄姿を仰ぐことができ、上信越国立公園の展望台と言ったところか。湯尻川上流にある鹿沢温泉は1300年前、孝徳天皇の時代に発見されたと伝えられ、新鹿沢温泉は大正8年に、この鹿沢に湧出する湯を引いた温泉だ。鹿澤館は昭和9年に開業。当時の佇まいが残るどっしりとした趣のある宿だ。500円で日帰り入浴ができる。無色透明の炭酸水素塩泉は、茶色い湯の花が漂い、ポコポコと音を立てる自噴泉の掛け流しだ。







2004年6月5日の今週の一枚

京都西陣の町家◆
 この家の玄関は普通の大きさの引き戸だが、京都の町家には、腰をかがめないと入れない「猿戸」と呼ぶくぐり戸がある。この通りの家並みには、「犬矢来」(竹を曲げた格子で外壁の裾を保護するもの)が多かったが、この家の玄関の両脇は、丸太を等間隔に配置した「駒寄せ」だ。犬矢来は町家の外観を飾る重要なアクセントだが、その名からイメージすると、犬のおしっこを警戒するためのものと思ってしまう。が、泥よけなどを防止する機能のものである。二階を見ると「虫籠窓(むしこまど)」がある。まるで虫かごのように格子が縦に入っていて、この意匠を考案した先人の洗練された発想力には脱帽する。本格的な二階建ての家には虫籠窓はなく、中二階の低い二階建築にこの意匠が使われている。重苦しい中二階の窓を美しく見せるために考案されたと考えられている。屋根には「一文字瓦」が葺かれている。京都の町家の軒先を見ると、何も彫り物や紋がついていない瓦で、下部が一直線になっている独特の瓦がある。これを一文字瓦という。







2004年5月27日の今週の一枚

◆諏訪大社上社・まっさらな一の御柱◆
 今年は御柱祭の年だった。御柱祭は、御柱用材の見立てから始まり、仮見立て、本見立てを経て伐採が行われ、御柱祭本番を迎える。準備から本番まで4年がかかる祭りである。寅と申の年に行われる6年に1回巡ってくる祭りだ。諏訪の男たちは長い準備期間にエネルギーを蓄え、6日間の祭りで一気に爆発させる。
 本番の山出し祭、里曳き祭はともに上社が先に行われるが、準備作業は下社が1年先行する。山出し祭、里曳き祭の間には古い御柱を倒す「御柱休め」の行事がある。古い宝殿から新しい宝殿に御霊代を移す遷座祭は、下社が里曳き祭前日の5月8日に春宮で、上社は4月15日に本宮で行われる。古い時代からの素朴な御柱祭である。






2004年5月17日の今週の一枚

◆木曽郡上松町・駒ケ岳神社太々神楽◆
 木曽の上松町にある駒ケ岳神社で奉納される太々(だいだい)神楽は、昭和50年代に国の選択無形民俗文化財に指定された。最初に湯立神楽を奉納、第一座の岩戸開舞から第十三座の六神行事まで、1日かけて行われる。
 駒ケ岳神社は、天文3年(1534)に禰宜大徳原長大夫春安が駒ケ岳山頂に保食大神と豊受大神を勧請し奥院を、また、山麓の徳原に里宮を建立したのが始まりという。この神社に奉納される太々神楽は、氏子の中で定められた農家の長男に申し送る一子相伝形式で、今日まで伝えられてきた。奉楽で舞うものと問答で舞う二つの形式で構成され、三剣の舞、四神五返拝などの舞は気迫あふれる迫力の舞だ。写真は、翁と鈿女の問答で湯立の神事と神楽の由来を語る第九座の岩戸別神鈿舞(いわとわけのかみうずめのまい)である。







2004年5月08日の今週の一枚

◆国宝松本城◆
 松本は、平安時代信濃国府が置かれ、中世には信濃国守護小笠原氏本拠地であった。小笠原氏の治める頃は深志城、長篠の戦以降は松本城と称した。天正18年(1598)、豊臣秀吉の家臣であった石川数正が入り8万国を領する。現在の松本城は、この数正親子が築城し、現存する天守一画の建築のうち、五層六階の大天守・正面左手の渡櫓、右手の乾小天守は関ヶ原の戦(1600)前後に完成。現存天守の中では最も古く、国宝に指定されている。朱塗勾欄をめぐらす御殿風の月見櫓は、寛永年間(1624‐44)のころ増築された。城主は、石川数正以後、小笠原氏・戸田氏・松平氏・堀田氏・水野氏と変わり、寛永期に戸田氏が志摩国鳥羽から来て6万石で在封し、9代続いて明治維新を迎えた。明治維新に城全体が売却され解体の危機に瀕したが、幸い街の識者の尽力により破棄をまぬがれる。明治の大修理、昭和の解体修理、平成の復元工事を経て今日の姿がある。天守を含む本丸・二の丸の敷地は国宝松本城黒門・本丸庭園として解放されており、北アルプスの常念岳をバックに美しい風景美を成している。










2004年4月30日の今週の一枚

◆霊仙寺跡(りょうぜんじあと)長野県史跡・信濃町◆
 野尻湖や黒姫山で知られる信濃町にある。飯縄山の東の一峰、霊仙寺山の東麓にあり飯縄山への登山口で、かつて修験者が戸隠へ詣でた山道口でもあった。創始について明確な記録が残ってないが、鎌倉時代後期に編輯された「戸隠山顕光寺流記」に記されていることから、さらに遡ると考えられている。五社大神(大日霎貴神、大己貴神、事代主命、稲倉魂命、猿田彦命)を祀り、伝承では、十の寺と数十の杜人屋敷があったという。霊仙寺跡には、明確な基壇ではないが礎石27個が今も残っていて、4間×7間程度の建物があったことを物語っている。戦国時代末、武田信玄に焼かれたが、上杉謙信の崇敬を経て復興され、江戸時代に入ると長野に移り、明治時代以後廃寺廃社となった。








2004年4月22日の今週の一枚

◆4月15日の諏訪大社上社◆
 この日、神事御頭祭が行われる。写真右側には、上社前宮までの行列に使う幟や長刀が見える。上社から前宮まで1.5`を、神官を始め各地域の氏子たちが幟や長刀、御神輿、鹿の頭(剥製)や生きた雉などの奉納の品を担ぎ厳かに練り歩く。御頭祭は大祝のお使い(神使)が神霊を奉じて、信濃国中に出発する大祭だった。当時は、鹿の頭75頭他を供えていたという。現在は上社例大祭のあとの神事となっている。諏訪大社上社前宮本殿は、諏訪大神が最初に居を構えたといわれ、諏訪信仰発祥の地だという。鳥居の奥左側には、十間廊と呼ぶ奥行き10間(間口は3間)ある建物があり、御頭祭はこの十間廊で行われる。






2004年4月11日の今週の一枚

◆長野市素桜神社の神代サクラ(エドヒガンザクラ)◆
 長い歴史を持つ樹齢は1200〜1400年と言われている。その昔、素戔鳴尊がここで休んだ時に、持っていた桜の杖をさしたのが、この神代サクラと言い伝えられている。
 幹が大きく3つに枝分かれし、4方へ手を伸ばすように広がる巨木は、支柱に支えられながらも、ずっしりと雄々しく、その佇まいを見せている。寒い山間地にある桜だが、毎年、見事に花をつけ、4月末から5月にかけて小さな神社を包み込むようだ。老樹とは思えないほど、こんもりと勢いがあり、美しく淡い色の綺麗な花は一見の価値がある。長野市から戸隠に登る途中の芋井泉平にある。






2004年4月04日の今週の一枚

◆安曇野の水車◆
 安曇野の代表的風景によく使われる水車の佇まい。清流に押されギーギーと音をたてて回り続ける水車は、北アルプスの雪が、清冽な湧き水となって湧きだすあるわさび農園の中にある。農園の入り口から左手を行くと、蕩々と清流が流れるこの風景に出合う。
 3千b級の北アルプスに降る雪が、地底の闇をくぐり、時間の層に濾過されて、このわさび農園周辺に湧きだすという。年間を通じて摂氏13度前後、水量は日に15万dの量である。15fという広大なわさび畑には、わさび農家の手による幾何学文様の水路が満遍なく走っている。






2004年3月30日の今週の一枚

◆飯山・千曲川の春◆
 長野県飯山市の千曲川河川敷の春の風景。菜の花のつぼみがふくらみ始めた頃。
 この一帯は菜の花畑として有名で、あたり一面が優しい黄色一面に染まる。
 飯山市は県最北部に位置し、全国有数の豪雪地帯。寺院が多数並ぶ奥信濃の城下町だ。志賀高原、野沢温泉、斑尾高原などに代表されるウィンタースポーツの基地として、また、湯田中、渋、野沢など温泉に恵まれた観光地である。







2004年3月21日の今週の一枚

◆北国街道・海野宿の町並み(長野県小県郡東部町)◆
 寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で、善光寺への参詣客も数多く利用したという。
 伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受ける。







2004年3月13日の今週の一枚

◆錦市場の老舗だし巻き屋◆
 京都錦市場にある老舗のだし巻き屋の朝の風景。職人が黙々と焼いていく。その手さばきは、瞬間という次元の世界。昨年の祇園祭の二日前に取材。私は京都に住んでいたが、祇園まえの錦市場は、夏の歳時記「祇園祭」のために仕事をしている。









    





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