ご覧の鞄は昭和初頭の「ボストンバッグ」である。やはり、今は無き上田市のある古道具屋で手に入れた。確か2千円ほどだったと思う。フロアーの片隅で埃を被っていたが、圧倒的な存在感、革の品のある重厚さ、仕立ての美しさ、使い込まれて修理の跡がある取っ手。視界に入った瞬間、自然と足が向き手が伸びていた。
 持ち上げて開いてみると、しばらく使われていなかったのか、革製品の独特のカビ臭さが一瞬広がり、心地よい重さが素材の革の贅沢な厚みと品質を物語る。内部はガーゼが張り巡らされ、初代オーナと思われる医者の名と町村名、電話番号、数箇所のシミがあった。
 この鞄は「ドクターバッグ」だったのだ。電話番号の桁数が昭和初期のものと語っていた。当時のドクターバッグは黒染めで、留め金が2箇所なのが一般的だったはずである。飴色の染め、ボストンバッグと思しき形態、仕立て段階で縫いこまれたガーゼなどの特徴は、オーダーメイドであることの証だ。予測したとおり、ガーゼの内張りを張り替えたとき、銀座の老舗の焼印が出てきたのだ。
 「カバン」という言葉は外来語である。幕末、オランダから皮製のバッグが日本へ伝わる。オランダ語でバッグのことを"カバス"といい、「鞄(ハク)」の和読みとなった。
 東京銀座に日本で初めて鞄専門店が開業したのは明治20年頃、今日でも老舗として有名な店だ。当時、皇室の目に止まり、種々の鞄の注文がきたという。これらの仕事をこなしていた職人たちが様々なバッグを作り出し、明治後期から大正のデモクラシーの波に乗って、鞄が大衆化する。戦後の高度成長期、ビジネス界ではアタッシュケースが流行。バブル期には、海外ブランド人気の高まりとともに、キャリアウーマンが使う高級ブランドビジネスバッグを、街の至る所で目にするようになる。
 ところで、私は昔から、鞄を選ぶときの3条件がある。一つ目は、A3サイズの書類が入ること。二つ目は、一升瓶が横にして入るマチがあること。三つ目の条件として、シンプルで仕立てが頑丈に仕上がっていること。重たい土産やカメラを運ぶため、鞄の取っ手、仕立てが強固かどうかを必ずチェックする。20年前に出会ったこのバッグは、私の条件を完璧に満たしていたのだった。今では、雑誌連載「ローカル線ぶらり旅・駅前の鞄(カントリープレス月刊情報誌KURA)」で、旅の相棒となっている。

#004●古道具屋の片隅にあったボストンバック