ここ数年、漆器が「買い」である。骨董屋を巡っていると、リーズナブルな値の器とよく出会う。
 バブル以降、骨董陶磁器が高値維持、相対的に漆器の値が安いままになり、もう10年以上たっている。
 漆器は陶磁器よりも扱いにくいとよく聞くが、それは誤解。使い終わったらぬるま湯でサッと洗い、布で乾拭きしておけばよい。この機会に、付き合ってみては如何だろうか。傷の少ないばら売りの器が入門に最適。漆器独特の温かさが、手に心地良いはずだ。
 さて、ご覧のアンティークは、明治期の漆器「梅文様椀」である。日常使いの漆器椀で、丁寧ではないが、錆(さび)絵による梅の花や枝に勢いがあり、内側には菊と蝶が描かれている。
 数年前、箱もなく、ばらで売られていたものを、屋代の骨董屋で手に入れた。骨董屋の主人の話から明治期のものと推測したが、漆器の知識も浅いので、産地がわからない。
 こんなときは相談するに限る。南木曽に住む知人の漆職人に教えを請うことにした。錆絵などの技法の様子やある程度の完成度から、明治期の飯田漆器ではないかという。
 錆絵とは、砥の粉を混ぜた錆漆の粘度を調整し、日本画用の筆で文様を絵画的に描き、図柄に立体感を出す技法のことで、筆の勢いとタッチが残るらしい。本蒔絵の錆あげとという類似した技法は漆芸が生み出した技そのものだが、錆絵の技法は、日本画からの概念のようだ。
 飯田が漆器の産地であったということには驚いた。慌てて調べてみると、江戸初期の寛文12(1672)年、下野烏山から堀親昌が2万石で入域し、明治まで12代270年間に、地場産業として、糸・和紙・元結・傘・漆器などが発達したとある。しかし、当時は地産地消だ。各藩が地場産業として育成していたとしても、何ら不思議でない。
ところで、最古の漆塗り製品は、能登半島・田鶴浜町の三引遺跡から出土した竪櫛である。また、わが国最大級の縄文集落跡・青森県の三内丸山遺跡でも漆器が発見された。一緒に見つかった漆の種のDNA追跡調査で国産漆であることがわかり、それまでの中国伝来という説を覆した。
 漆文化は日本独特のもので、既に縄文時代にあったのである。約6800年の歴史を持つ漆器。「japan」と呼ばれるのも納得できる。

#023●漆器「梅文様椀」
     ひとつの椀から"Japan"という名の漆器の扉を開く