ご覧の品は明治初期の「膳」である。数年前、酒器の本の取材で訪ねた高遠町の骨董屋にあったものだ。8客手に入れたが、父と4客ずつ山分けした。骨董屋の主人の話では、旧家の蔵出しによる仕入れなので、場合によっては幕末まで遡るものかもしれない。
 傷みや疵も少なく、当時のオーソドックスな2本脚スタイル。保存状態が良かったのか、朱と黒の漆が美しく、そして柔らかに輝いている。
 膳は、桐の箱の中に10客ごとに入れられたセットが一般的だ。冠婚葬祭用に2セットほど蔵に眠っていることが多く、セット数で、名家かどうかがわかる。
 我が国の和食器と食事スタイルは、世界でも独特なものだ。膳と椀と箸を使うのは、お隣の韓国と日本だけ。民俗学的には「土間生活文化」と「床生活文化」の違いから説明できるという。
 ダイニングテーブルが発達した中国や西欧諸国は、靴を履いたまま屋内で生活する「土間生活文化」だ。靴によって屋外からホコリやゴミが持ち込まれるので、背の高いテーブルが使われるようになったという。この文化圏は石造建築が多く、暮らしの道具には石や金属などが主に使われ、磁器の食器やスプーンを発達させた。熱伝導性が高い素材なので、器に取っ手を付けるようになる。中国の古い器やティーカップを見れば一目瞭然だ。
 片や、日本や韓国などの「床生活文化」では、室内で履物を脱ぐので、床が清潔に保たれ、床に直接座って食べる低い食卓が発達したらしい。同時に食器を持って食べるスタイルが確立した。建物は木材や土を使った木造建築。面白いもので、食器にもこれらの素材が使われ、陶器や漆の器の文化を育んでいった。
 ところで「膳」の寸法をご存知だろうか。膳の大きさを表す言葉で「方尺二(ほうしゃくに)」というものがある。正方形で、一辺が一尺二寸(約36センチ)のこと。ちなみに、「径四寸」という言葉もあり、こちらは男性用の「椀」の口径12センチを示している。それに対し「女もの三寸八分」は11.5センチで、どちらも江戸時代末期に定められ、今日も瀬戸、有田などの焼き物産地で守り続けられている。夫婦茶碗などが存在するのも頷ける話である。
 膳の一尺二寸といい、椀の四寸などは、その頃の男女の平均的な手の大きさや、肩幅、身長から割り出されたという。両手で持った尺五は、旅館・料亭の廊下などで、膳を持ったまますれ違いできる寸法なのである。「身度尺で計って作る」とは、日本の尺度文化だが、本当に理にかなった知恵だ。
 膳がもたらした面白い習慣には、自分専用の箸や茶碗を持つというものもある。日本では当たり前なことだが、箸文化圏の中国や韓国でも見られない世界的に珍しい文化なのだ。西欧でも、ナイフやフォーク、プレートなどの共同利用は当然のこと。マイ箸、マイ茶碗は、「箱膳」という食卓兼食器収納具としての膳が各々専用にあり、その中から箸や椀を出し入れしていた名残という。
 先日、私の古巣、京都へある取材で出張した。同行したのは、十年ほど前、奥様の郷里・真田町に移住した江戸っ子だ。夕刻、河原町四条を歩きながら、「京都らしいもので一杯やるか」ときたので、裏路地を入った老舗料亭を予約し、季節会席に舌鼓を打った。会席膳が用意された小さな座敷に、旬の鱧(はも)や新生姜(しょうが)の料理が、美しく器にのって運ばれてくる。
 「方尺二」という言葉を思い出し、膳の上に置かれていく器を眺めた。膳と器のバランス、その器の配置。「枯山水」の名園のように見えてくる。日本文化の奥行を再認識した一時だった。

#022●幕末から明治初期頃の「膳」
           膳から垣間見える日本の伝統文化