ご覧の品は、1961年の「アラジン・ブルーフレーム」である。アンティークというよりビンテージかもしれない。私と同じ、43歳の石油ストーブで、イギリスで製造、輸入されたものだ。頑固で完璧を望む英国人が好みそうな完成されたフォルムは、石油ランプの形そのものだ。
 私の父は動物発生学の学者で、昭和32年に菅平高原の旧東京教育大学高原生物研究所が赴任地となった。2年間の単身赴任の後、昭和34年に一家が東京から信州上田に移住した。
 父と母は大正時代に東京原宿で生まれ育ち、千駄ヶ谷町立穏原小学校(現在の神宮前小学校)同級生で、有名な青山アパートの裏に住んでいた。当時はまだ珍しい恋愛結婚だったが、父の大学や兵役のため、ようやく結婚できたのは、戦後の混乱期が落ち着き始めた昭和26年のこと。母曰く、それ以来、大塚、目白、雑司が谷、幡ヶ谷と都内を転々とし、引っ越し貧乏そのもので、気が付いたら信州に来ていたという。東京とは違い、信州の冬の寒さには、さすがに母も困り果てたらしい。引っ越してからの2年間は、火鉢や手あぶりなどの暖房で、両親と姉兄の4人で、その寒さを乗り越えたようだ。
 信州へ移住して2年目に私が生まれ、一家の暖房計画が浮上した。実はこのストーブ、私の誕生を機に父が東京のデパートで購入したものだ。国産ストーブが3〜4千円の頃、このブルーフレームは1万6千円。父の給与の半分を占める高級品だった。ちょうどその頃、暮しの手帖社が市場にある全石油ストーブのテスト記事を掲載し、アラジン・ブルーフレームは、品質性能共に第一位の評価を受け、一躍脚光をあびた。
 アラジン・ブルーフレームを生み出した英国アラジン社は、1930年代の初め、米国アラジン社と英国の企業家ジャック・インバーとの間に設立された合弁会社だった。当時、米国アラジン社は青災式バーナーを使った優秀な石油ランプが有名で、米国内はもちろん、広くヨーロッパ各国に輸出していた。
 英国アラジン社の社長になったジャック・インバーは、"もしこのすばらしい性能の青災バーナーを暖房器具に使えば画期的な石油ストーブができるのではないか"と考えはじめた。当初、目的としていた英国でのランプの製造・輸出は、ヨーロッパから全ユーラシア大陸に広がり、順調に軌道にのり始めていた。
 この機を逃さなかった彼は、早速、商品開発のためのインバー・リサーチ社を設立し、ブルーフレーム石油ストーブの研究開発に着手する。
 長期の研究、開発のすえ完成したのが、現在のブルーフレームの原型となった「I.R.」だ。「I.R.」とは商品開発をしたINBER RESEARCH社の頭文字。この石油ストーブに絶対の自信をもったジャック・インバーは、インバーリサーチ社を英国アラジン社に合併させ、アラジンランプの広い販路にのせて、世界的な販売を図る。そこで、著名ブランドの"アラジン"をこの商品につけ、アラジン・ブルーフレームという名が誕生する。
 ブルーの名の如く、青い炎で燃焼するため、未燃焼ガスの発生が少なく、石油ストーブ独特の匂いが殆どしないのも人気の秘密だ。石油ストーブの名品と言われ続けてきたのがよく分かる。
 私の棲家は、菅平のふもとの古民家なので寒い冬を乗り越えるため、暖房の主力は薪ストーブになった。しかし、寝室を暖めるストーブとして現役だ。青い炎を見ていると、あと何年私を暖めてくれるのか…と語りかけてしまうが、"同年の相棒"の方が長生きしそうだ。

#018●機能美に溢れるストーブの名品は
      ランプから発想された アラジン・ブルーフレーム