ご覧の古道具は、明治期と推定される作者不明の「手づくり墨壺」である。つい最近、八ケ岳の麓にある古道具屋で見つけたものだ。
 墨壺をご存知だろうか。大工や指物師、家具職人の三種の神器といわれ、差し金、墨刺しと共に大切な「墨付け道具」である。
 墨壺を使って直線を引く技術は、極めて古い時代からという。似たような原理がエジプトのピラミッド築造に使われたようで、当時は縄を泥などに漬けて線を引いたと考えられている。数千年前、この技術がアジアに伝わり、中国で改良され、日本に渡ってくる。今日、使われている型は、十数世紀前に完成されていたと推測されている。私自身、文化財の仕事で奈良を歩いた時、正倉院に日本最古の墨壺が保存されているのを聞いたことがある。万葉集にも"墨壺"という言葉が登場し、法隆寺の当初材に墨線が残り、東大寺の南大門やいくつかの遺跡からも墨壺が発見されている。
 角が丸くなるほど使い込まれた姿は、職人の魂が宿っているようだ。墨壺本体と廻手(かいて)というレバーが回す壺車(つぼくるま)も、材は欅(ケヤキ)で作られている。古いものは桑で作られ、江戸後期に欅のものが増えたという。廻手に使われている軸は、叩き出しの古い釘のようだ。
 職人自らの手づくりで、こんなに小さい墨壺は見たことがない。大きさから見て指物職人や家具職人が、愛用していたのだろう。家具産地が増えたのは江戸後期、材の欅といい、軸の釘などから、作られた時代は、明治期と勝手に推定している。
 使い方は、墨池という穴のところに墨肉を入れ、壺車に墨糸を巻きつけ、糸を墨池の中を通して、墨を滲ませる。糸の端に、仮子(かりこ)という錘をつけ、引きたい線の最短に刺す。墨糸を加工材に真っ直ぐに張って垂直に軽く弾くと、墨線が材面に引かれるのだ。
 知り合いの職人に聞くと、木材に入れた線はすべて「墨」と呼ぶらしい。鉛筆でも朱であっても、工作用の線は墨だ。部材自体の形や、部材同士が組み合わさる継ぎ手等の線を墨で木材に書いていく。
 家具作りでは、目に触れる化粧材の仕上が命だ。重要な化粧材の墨付けは、木肌の美しさを確認しながら、全工程の早い段階で慎重に行うという。
 墨付けは、材料に線を書いていく作業であると同時に、材料をどのような向きに収めるかを決める工程でもあるという。よく「木は生きている」と言われる。強度のばらつきが多い上に、捻りがでたり、曲がるし、収縮するなど非常に難しい材料が木材で、生物のようだからだ。ベテランの職人は、木材を熟知し、材の一つひとつの特性を見抜きながら作業をしていくのだ。
 家を建てるにも、柱や束は木材の根元を下、末を上にする。梁等の横架材は腹を下、背を上だ。垂木等の支点から持ち出す材は腹を上にし、背は下。板は木表が表で、木裏が裏となる。歴史が積み重ねた知恵を使い材の向きを決めても、理屈通りにはいかない。癖を見極め、向きを決めバランス良く組むことで、木材の欠点を長所に変えられるのだ。
 最近はプレカットという加工済みの材で家が造られ、墨付けができない大工が増えているらしい。工業化木造住宅が普通となった現代、加工の均質化を一生懸命やっても、木は生きているのだから、職人の技抜きに建てられるはずはないのだが…。墨壺を使った"墨付け"作業が、無形文化財になるのも時間の問題かもしれない。

#016●手づくりの小型墨壺