No,30として紹介するアンティークは、20世紀初頭の「オルゴール内蔵 錫製ビア・マグ」である。20年ほど前、国際学会で出張した父のヨーロッパ土産だ。イギリス・マンチェスターのアンティークフェアで30ポンドほどで買ったという。
 父から土産として受け取った時、紳士の国イギリスに、こんな砕けたものがあるのか、しかもアメリカのフォスターの曲?と驚いた。そのアンティーク・ブースの主人が、非常にレアなアンティークだと話していたと父は笑う。
 ビア・マグの特徴は、陶磁器、ガラス、革、木、金属など素材の多様さと、ユニークで華やかな柄とデザインのはずである。しかし、ご覧の通り、いたってシンプルなデザインだ。中央のサークルには、オーナー名と思しきF.Wyattと入り、取っ手上部の裏には、使い込んだのか消えかかって判読が難しいENGLIBM ND HAMMERED PEWTERと、錫の合金のジョッキと書いてある。
 どこにオルゴールが入っているかというと、取っ手下部のところに走る横3本ラインがビア・マグの底。ライン下4pが上げ高台となっていて、写真左のオルゴールが仕組まれている。ビールを飲もうと持ち上げるとステファン・コリンズ・フォスターの「草競馬」が奏でられ、質実剛健な器が、生き生きとした楽しいビア・マグに生まれ変わるのだ。
 19世紀のアメリカを代表する作曲家・フォスターは、アイルランド系の開拓民の血が流れていた。1826年7月4日、ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれ、黒人の奴隷問題が激化した南北戦争の最中に、一本のフルートから数々の名曲を生み出した。生涯188曲の作品を残して、37才の若さでこの世を去るのだ。多数の名曲が日本でも愛され続けている。
 裏にあるゼンマイを巻き、オルゴールを鳴らす。ビア・マグの底と円筒が、美味い具合に共鳴し、実に味わい深い音色が流れてくる。聞いた瞬間、なぜ父がこれを買ったのか納得してしまった。リズミカルな「草競馬」はビールをグビグビと呑むときに、笑ってしまうほどピッタリで、普段の倍は飲めそうな気がするからだ。代々、"呑み助"の家系の血が騒いだのか、ビール王国イギリスのパブでの愉快な場面を連想したのか、このビア・マグを見つけたときの父の笑顔が目に浮かぶ。
 ビア・マグ(麦酒盃)などの誕生は、ホップを使用する今日のビールに近いものが生まれた11世紀後半の中欧諸国でのことと言われている。以来、ビールは大衆の喉を潤し、様々なビア・マグが、中欧諸国各地の工房で盛んに作られてきた。
 ところで、今日では錫でできた品物をあまり見かけなくなった。実は、錫という素材は、歴史あるものとご存知だろうか。世界最古の錫製の器は、紀元前1500年頃のエジプトの遺跡から出土した "巡礼者の壷"という。エジプトの錫文化は、海を渡りヨーロッパ大陸へ、また、シルクロードによって中国へと伝わっていく。我が国では1300年ほど前、飛鳥・奈良時代に中国から渡来し、ロクロ挽きの水差しなどが、正倉院に残されている。錫製の器の代表的なものは、古くから神酒徳利などの酒器や茶器などで、その理由は、茶が伝来した時の茶壷が錫器で、その後、主に酒器を作っていたからという。社寺の神具や仏具として酒器や茶器が使用され、貴族や武士階級に広く重用されてきたのだ。
 如何だろう。歴史を紐解くと極東の島国・日本と、遥か彼方にある大英帝国・イギリスで、錫製の酒の器があったとは、面白いではないか。
 オルゴールの音色が適度な振動として伝わるのか、実に美味い泡が立つ。少々、呑み過ぎそうな夕暮れだ。

#030●20世紀初頭のオルゴール内蔵 錫製ビア・マグ