さて、ご覧のアンティークは、明治期の「薬研(やげん)」である。
自称"幻のインドカレー屋"、また、"信州カレー研究所長"の私にとって、薬研はスパイス作りに必要な道具なのだ。
 15年前、南アジアに出張し、本場のカレーに魅了され、それ以来インドカレー作りが趣味の一つに加わった。その仕事は、インドネシア国立バリミュージアムのリニューアルプロジェクトで、昨今、外務省の不祥事で有名になったODA(政府開発援助)の一環だった。インドネシア文部省の役人と現地の学芸員とともに、衣食住、文化芸術などの取材で各地を訪ねた。
 南アジアには様々なカレーがある。フレッシュスパイスを使ったタイ系のカレー。インドネシアのカレーはタイ風であった。インドでは北と南で少々違いがあり、北部はガラムマサラという混合スパイス、南部がターメリックをふんだんに使ったカレーパウダーでカレーを作る。
 インドカレー作りは、混合スパイス作りから始まる。クミン、カルダモン、クローブ、シナモン、ベイリーフ、レッドチリ、ブラック・グリーン・ピンク・ホワイトの各ペッパー、ターメリック、パフリカなど十数種のスパイスをローストし、細かく挽くのである。最初の数年は、挽く道具にジューサーミキサーを使っていた。今でも時間が無いときは使っているが、薬研でのんびり挽くのも乙なものだ。
 ここ数年、その薬研を探していた。信州各地を取材する合間に、骨董屋、古道具屋を巡ったのだ。が、暮らしに身近な古道具、どこの家にもあった生活の道具が見当たらなくなった。スパイス作りのための"薬研"探すにも骨を折るの時代なのだ。
 山里の農家の土間や縁側には、暮らしに密着したものが必ずあった。水甕、槌と杵、石臼、薬研…。山村では、沢や森の恵みを巧みに生活へと取り込んだ豊かな暮らしがあった。清らかな水、渓流で育った魚たち、山菜やきのこ、木の実、薬草などの宝庫が山なのだ。
 昭和30年代頃までは、江戸期からの知恵と工夫が、山里の生活文化の中に受け継がれていた。特に薬などはその影響が強かったようだ。江戸時代に、全国各地で薬草などを主とした秘伝薬や、家伝薬が生まれたのだ。木曽御岳の百草丸などもその一つだ。
 薬が増え始めると同時に、様々な製薬道具が考案され、改良された。目的に応じて道具は使い分けられていた。細長い薬草を細かくするのは片手切り、固い生薬を砕くのは両手切り、更に細かくすりつぶすのは薬研と石臼の仕事であった。細かくしたものは、更にふるいで選り分けられた。
 この薬研は、ある取材で伺った高遠町の骨董屋"大信"で見つけ、主人の前林政行氏からいただいたものだ。ご覧の様に、暮らしの救急道具の薬研は、長く使われたため、すり減っている。舟には傷があり、台の木もかなりの時代が付いている。この薬研を見ていると、どのように薬が作られたのか、何人の家族の病を治したのだろうかと、思い巡らすことができる。
 滋養強壮の薬草酒に使われる漢方薬の中に、丁子やウコン、桂皮などがある。実は、全てスパイスなのだ。丁子はクローブ、ウコンはターメリック、桂皮はシナモンスティック…。
 インドカレーを作るとき、スパイスが足りないことがある。どうしても手に入らないとき、私は漢方薬屋に走ることがある。スパイスを薬研で挽くこと、それは、漢方薬を作っていることと同じなのだ。ということは、"インドカレーは薬膳料理"だったということか?どうやら、新しい発見をしたようだ。

#026●暮らしの救急道具"クスリ研ぎ"で
                カレーパウダーを作る