私が小学生の頃に、上田城址公園の近所にあった骨董屋で、500円程度で手に入れた「シルクハット」を紹介しよう。
 小学生の頃から骨董屋に出入りしていたのかと、笑い呆れる読者の声が聞こえるようだが、それなりの理由があったのだ。確か小学3年か4年の学芸会で、手品を披露した。その衣装探しで、父が通っていた数店の骨董屋を巡った。
 そのころ、喜劇王・チャップリンに憧れていた。山高帽子が似合い、モーニングコートを彼らしく着こなし、ステッキを生き物のように操りながら、社会を風刺、人生の深さを感じさせるチャップリン。チャップリンになりきって手品をしたかったのだ。
 骨董好きという代々引き継がれてきたDNAがあるのか…、母の映画好きの影響だろうか…チャップリンが作り出す映画の画面は、全てアンティークで構成された世界に思えたのだった。テレビで放映されると釘付けになり、喜劇俳優になる夢もあった私は、凝り性の風変わりな少年だった。
 ところで、シルクハットの起源を調べてみると、各国にいくつかの説があり、なかなか面白い。ひとつ目は、なんと中国起源説だ。1775年、広東のある帽子屋が、当時この地を訪れたフランス人の為に考案したのが始まりだというのだ。また、1760年にフィレンツェで考案されたとするイタリア起源説もある。
 定説となっているのが、ロンドンの紳士用服飾品商ジョン・エセリントンが1797年1月15日のたそがれ時に、自らがデザインした新しい帽子をかぶって店から現れたというイギリス起源説だ。ロンドンのタイムズ紙の報道には、エセリントンがかぶったストーブの煙突のような黒い帽子は、大勢の人々の興味を引きつけ、押すな押すなの騒ぎが起きたとある。この騒ぎでエセリントンは治安妨害の罪で法廷に提訴される羽目になったという。しかし、この記事が広告効果となったのか、数日もしないうちに、応じられないほど多くのシルクハットの注文が殺到したらしい。
 この説に異論を投げかけるのがフランスの服飾史家たちだ。シルクハットのデザインは、エセリントンの騒ぎの前年、パリで生まれたものという。その証拠に、フランスの画家シャルル・ヴェルネの「1796年の伊達男」と題する絵に、シルクハットと同じデザインの帽子をかぶった紳士が描かれていて、エセリントンはそれを盗んだのだと主張している。この主張に黙っていないのがイギリスの服飾史家たち。この絵の制作年代は、改ざんしているに違いないと反論。犬猿の仲の両国、英仏論争はどの分野にもあるようだ。
 ご覧のように、背の高い円筒形のクラウンには、プラッシュという絹の毛羽を長く仕上げた生地が美しい。シルク特有の艶が未だに健在だ。つばの裏に数箇所の虫食いの跡があるが、状態は非常に良い。
 驚いたことに、昭和8年の滋賀県立長浜商業学校講演部主催の「第7回全関西中等学校優勝弁論大会プログラム」が、シルクハットの中から出てきたのである。帽子のサイズ調整のため、細く折り返して内側に入っていた。この他にも、小学生新聞付録の昭和9年4月29日の「天長節・祝奉広告」もあった。紙面にはともに滋賀県長浜町とあり、他県へ出張できる立場の当時の教育行政キャリアか、旧制中学の学校長がオーナーだったということを物語っている。
 モーニングコート、燕尾服着用のときに使用される最上級の礼装用ハットのシルクハット。いつかくる完璧な礼装の時のために私の書斎で待機している。

#027●旧制中学の校長がオーナーだったのか…
                 昭和初期のシルクハット