食器や酒器に美しさを感じ、愛用する方は多いだろう。日常的に使う陶磁器は、さまざまな色や形があり、手にとって肌合いを感じることができるからだ。当然、骨董陶磁器入門でも、美しい文様や色、綺麗な形のものを選ぶ。しかし、地味ではあるが、地元にあった歴史的な焼き物を探すのも、なかなか面白い。殆どが日用雑器といわれる壷、かめ、片口、すり鉢、こね鉢のはずで、時代や使用目的によってバリエーションが多い地産地消の焼き物だ。住んでいる地域の暮らしを、歴史の視点から再認識できるだろう。
 さて、ご覧のアンティークは、幕末の「染屋焼、片口すり鉢」である。
 染屋焼という名をご存じないかもしれないが、「信州の常滑焼」と呼ばれ、江戸後期から明治期まで、上田市の染屋地区で焼かれていた。愛知県の常滑焼は日本を代表する古窯。その常滑の職人の指導によって始められた。最盛期には30余りの窯があり、磁器を焼いた2〜3の窯を除き、すべて陶器を生産していた。
 上田市立博物館には、国の重要民俗資料の染屋焼コレクションがあり、備前焼や常滑焼を髣髴させる、堅牢素朴な独特の味わいを見ることができる。粘土は鉄分を多く含み、焼成のとき崩れやすく、厚手の生地となるため、実用陶器といわれる水がめ、壷、水盤、こね鉢、すり鉢、金魚鉢、灯ろう、薬研などを作っていた。
 ところで、すり鉢の歴史を遡ると、あまりの古さに驚く。愛知県の猿投など6世紀窯跡から須恵器のすり鉢が出土している。10世紀まで下ると出土例が増え始め、量が多くなるのは南北朝以降。全国各地の遺跡で出土するのは14世紀以降で、室町時代にはかなり普及していたようだ。当時、すり鉢は製粉道具として使われ、古くは「摺粉鉢(ル・すりこばち)」と呼ばれ、「摺(ル・す)り小杵(ル・こぎね)」が短くなったのが、すりこ木だ。
 室町時代は、日本料理の草創期に当たるといわれている。それまでの日本には料理と呼べるほどのものはなく、貴族の宴会でも刺身などの生もの、そして、するめのような干物が主で、山茶碗のような器に盛り、酒を呑んでいたようだ。ところが、室町期に蒲鉾(ル・かまぼこ)、ふくめ(干鯛を細かく打ち砕き、すり鉢でそぼろにし、杉の葉の形に盛る)や、浮煎(ル・うけいり/鯛のすり身を小さな梅ほどに丸め、湯引き、たれ味噌で煮る)など、すり鉢によって創作された料理が数多く登場する。石臼の普及期と関係があるのだが、この時代に製粉道具としての存在から、調理道具に変わったのだ。
 すり鉢が日本料理を発展させたとは、なかなか面白い。地味な存在だが見直してしまう。

#024●草創期の日本料理に影響を与えた調理道具すり鉢
     「染屋焼、片口すり鉢」