ご覧のアンティークは、「一九一四年頃のウォーターマン・レバーフィラー・クリップキャップとセーフティ・タイプ」という万年筆である。祖父母が愛用していたものなのだ。
 祖父は、大分県の佐伯の士族の家に生まれ、同じ佐伯の医者の家であった安藤家の養子となった。安藤家は、今から二六〇年ほど前に佐伯の宇山地区で起きた心中事件の家である。それは安藤の青年医師「半蔵」と、修験者の娘「お為」との身分を越えた悲恋の実話なのである。佐伯に伝わる「堅田踊り」と呼ばれる踊りの中の「長音頭(ながおんど)」という「お為・半蔵(おため・はんぞう)」の口説きの題材にもなっている。江戸中期の革新的な恋愛は悲しい結末であったが、西日本各地で語り継がれている。
 このような言い伝えのある家だからだろうか、一高東大に進学した頃の祖父は、当時の進歩派として、菊池寛ら友人たちと熱い青春を過ごしたようだ。明治末年、卒業した祖父は古川財閥の足尾銅山に就職し、鉱夫たちの生活改善に汗を流す。大正六年、植物学者の三好学の娘、綾江と結婚し、東京・原宿に洋館を構えるのである。その頃、日本橋の三越で祖父母がこの二本の万年筆を買い求めた。当時、進歩派紳士・淑女のステータスであった輸入万年筆は、十五円もの超高級品だった。小学校教員の初任給一月分である。
 今日では、ウォーターマンといえばフランスの万年筆なのだが、実は、ニューヨークのフルトンストリートにある小さなタバコ屋奥のキッチンで、ルイス・エドソン・ウォーターマンが、一八八四年に創業した。
 創業者L・E・ウォーターマンはニューヨークで保険の勧誘をしていた。ある日、彼は愛用の万年筆のインク漏れで、苦労して契約した書類を台無しにしてしまった。このハプニングが、彼を万年筆の研究開発に走らせた。三年間、研究に没頭した彼が発明したのは"毛細現象を応用した新構造"だった。私たちが愛用している万年筆の基本構造であり、この成功で特許を取得したのだ。
 創業初年度、年間二〇〇本の生産が、三年後の一八八七年には、一日に千本を販売する万年筆業界の頂点に立ち、二〇世紀幕開けのパリ万博で、ハイテク最優秀賞を獲得した。その後、一九〇五年に、世界で初めて"クリップ"のついた万年筆を発売、一九〇七年にセーフティタイプという本体の後ろ側を回すとペン先が出てくる"繰り出し式"など先進的な万年筆を発表する。
 一九二六年、ジュール・ファガール女史の手によりフランス工場が設立され、一九五八年に、七〇年にわたった筆記具製造の幕を閉じたアメリカ・ウォーターマンの後を引き継ぎ、今日のウォーターマンとなるのである。
 ご覧の通り、エボナイトボディはオリーブ色に熟成し、14金の金具は威厳を放っている。祖父のウォーターマンの貫禄と風格、祖母のセーフティタイプの清楚なデザインは、二〇世紀への転換期に、職人魂が産み出した歴史のメッセージだ。

#014●大正時代・祖父母が愛用したウォーターマン万年筆