真田州庵のサイト
手元にあるいろいろなアンティークは、どのような物語を背負っているのだろう。
道具としての由来や機能を語るストーリーもあるのだが、最初に手に入れた人物が愛用したという物語もある。人から人へと渡っていき、偶然、私と出会い、私なりに愛用しているのも神秘的な物語である。
このことを考えると本当に不思議な気持ちになる。
その道具を眺めていると、使っていた人物の性格や、その道具が壊れそうになったり、どうしようもない理由で人手に渡ったりしながら、時代を乗り越えてきたのが伝わってくるようだ。
山里の古民家をアトリエにするとなかなか楽しみが多い。徒歩2分のところに清流があり、気が向いたらフライフィッシングで岩魚が釣れる。また、春には山菜狩り、秋にはきのこ狩りと、フィールドのイベントがある。隣近所では高原野菜を作っていて、気分転換の散歩中ご近所との立ち話(野菜など)に花が咲き、結果、新鮮な野菜を頂ける。
面倒なことでは、買い物や銀行などが遠いこと。食堂まで昼飯を食べに行くとなると、殆ど隣町までいくようなものだ。
こうなると、新鮮な川魚や野菜も手に入るので、アトリエの台所で料理をするようになる。もともと料理が好きなので別段、気にならない。友人の突然の来訪で酒宴となるときも、冷蔵庫のあまりモノや旬の食材で肴を作る。友人たちもなれたもので、酒と食材を持参するのだ。
タイトルの「一八料理」とは、美味いかどうかは「一か八か」という意味。実験的な創作料理だからだ。過去、定評のあるヒット作もあるので、追々UPしていく。
美味いかどうかは「一か八か」の
実験的・創作料理
感染してから発病まで、あっという間の
「骨董・アンティーク症候群」
暮らしの中で骨董・アンティークを愛用している方は、微笑ましく実にいい顔をしている。そんな方々と話をすると、さまざまな品物の物語と出会う。
古き良きものを愛用する仲間を、愛情を込めて「骨董・アンティーク症候群の人々」と呼んでいる。無論、私もだ。この病、感染から発病まで、あっという間である。ところが確実に暮らしを豊かにする病なのだ。
歴史の気配を感じる品々があるとホッとでき、愛用することで、また時代が付いていく。先人たちの知恵を感じ、文化という歴史を汲み取ることができる。
このエッセイはKURAに連載している『アンティーク・ミュージアム』のリードとして書きためたものだ。さまざまな視点から骨董・アンティーク道を一考した。
骨董・アンティークの入門の参考になると思う。
骨董・アンティーク道のエッセイ
州 庵 の 晩 酌 日 記
今日まで、古今東西の酒をかなり呑んできた。機会があれば名店の酒屋や酒蔵巡りが、私にとって至福の一時である。さまざまなラベルを目の前に、今夜の肴をイメージしながら、美味いだろうか…と悩んで選び買う酒、知人からいただく酒、呑み屋で出合う酒…何の縁があるのか私の胃の府に落ちていく。酒を嗜みはじめ20数年、晩酌、友人との一献、宴会、接待…さまざまなシーンがあるが、同じ酒を呑んでいても、肴や話で酔いが変わる。
初めての酒・銘柄を呑むときは、酔う前に香り、味、喉越しを楽しむよう心掛けている。この年になると好みが明確になり、培った尺度で呑むようになる。分かりやすく言うと「単に呑みやすい酒より、自分の酒の味の記憶に、新しい発見をさせてくれる酒」であろう。歴史が育んだ酒である。時代を先走りすぎ、奇をてらったものもあるが、気に入った銘柄と付き合いたい。
なんとなく覚えている酒の銘柄…この姿勢は、酒に失礼だと思う。酒への感謝という心も含め、今宵、私の喉を通る酒を日記のように紹介したい。
皆さんと共に酒のコミュニケーションを、そして、酒文化を語ろう…と考えてます。
UPした酒へのご意見、思い出などをメール若しくはBBSにいただければ、ページ内にUP。
どんどんご意見を!!!!!
皆さんからのご質問、ご感想、ご意見などをUPする「一八ご意見欄」を開設しました。
大成功でした…、作り方がわからない…、このほうが美味しいよ…、この食材を何とかしてくれ〜!など、メール若しくはBBSでご投稿下さい。ページ内にUPし、私、州庵がお答えいたします。
ご意見をお待ちします!
京都でのサラリーマン時代、自然科学分野や水道行政の博物館プロジェクトで、各地の自然豊かなところへ赴き、さまざまな取材を経験した。出張では地酒で郷土料理を味わうのが楽しみだった。各地の米の美味さや酒を通して「水の大切さ」、「水の美味さ」を再認識したのだ。
今考えると、京都や大阪の水道の水が、とてつもなく不味かったからかもしれない。ちょうどその頃、環境庁が名水100選を認定しようとする動きがあった。
以来、ひとつのバックパックに野点珈琲のセットを入れ、車に積み、「野点珈琲道・家元」と自称し、美味そうな水を見つけたら積極的に楽しんでいる。
信州に帰ってきたら、美味そうな水がそこここにあるじゃないか。山里の社寺に取材するなど駆け回っているが、楽しまないと損なのである。
気軽に楽しめるアウトドアとして、また、街歩きのひとつの楽しみ方として、貴方も「野点珈琲道」に入門しては如何だろう。
我が国で初めてカリー(カレー)を紹介した文献は、明治5年に書かれた「西洋料理通」、「西洋料理指南」である。この文献は、同年、肉食解禁という明治政府の政策を見越したもので、肉を食べることが文明開化に通ずると思っていた最先端の人々に支持され、翌明治6年頃には各地に知れ渡ったという。
その中で紹介されたレシピは、カエルの肉と長ネギなどを使い、簡素なカリーパウダーによるものだった。まだ、我が国にタマネギも紹介されたばかりで、ジャガイモも量産化されてなく、牛肉の生産や流通も無かった時代だ。しかし、食文化の革新に旺盛な料理家が、各地で「カリー」という食べ物を研究し、東京の有名レストランのメニューに登場する。
今年は、日本にカリーが紹介され141年。9年後の150周年に向かって、「東洋カリー指南(仮称)」の編纂を目指し、「カリー(カレー)なければ人生なし」という研究所長・州庵が、スパイスの文化史、日本カリー史、15年来の独自レシピのパウダー開発秘話、新機軸のカリー開発ドキュメント、美味しいカリー・ショップ探訪など、カリーに関するさまざまなエッセイをお届けする。(少々、話が大きくなりすぎた・・・)≪予定≫
このコンテンツは、皆様からのご意見やご提案、ご感想によって、今日のカリー(カリー)文化を再検証し、新しい提案をしていこうと考えてます。
※一部オープン!