●新年度最初の酒呑み談義

論客◆真田町振興公社・事務局次長・地域振興部係長/橋場秀俊氏(真田町赤井)

 4月1日、新年度となった。新年度のスタートは暮らしが変わる。今日から自賠責保険、雇用保険、国民年金保険の値上げ、個人情報保護法、犯罪被害者基本法、改正児童福祉法、発達障害者支援法、改正育児・介護休業法などの法律が施行され、金融面ではペイオフ前面解禁、メキシコとのFTA発効、知的財産高裁新設、電力自由化の拡大、また、高速道路のオートバイ2人乗り解禁、身近なことでは市町村合併により新松本市、新佐久市、新塩尻市、新中野市が誕生した。
 就職、入学とともに我々40歳代は中間管理職の辞令が下るときでもある。
 我輩の呑み仲間、橋場秀俊氏も今日から「事務局次長」という肩書きが増えた。彼の組織や活躍と実績については、いろいろ議論をしてきたので、果たして辞令に対する「祝杯」なのか、「慰労会」なのか微妙だが、九州長崎の中尾氏から送ってきた福岡県三潴町の「杜の蔵・特別純米酒・槽汲み」で一献傾けようとなった。

安藤州平               橋場秀俊氏
 昼前、アトリエの灯油が切れ、我が町の南端にあるホームセンターへ買出しに行く。橋場氏の勤め先「幸村夢工房」の前を通ると彼の車があり、カリーイベント以後連絡を取っていなかったので激励の電話を入れる。すると「今日は休みなのだが、辞令が下りるので出てきた」とのこと。
 買出しを済ませ顔を出すと、いつもと違いパリッとしたボタンダウンとグリーンのお洒落なネクタイで紺ブレ姿。近くの食堂へ昼飯を食べに行き、その足で、我がアトリエに戻り酒宴となる。

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今日の芳名録・各氏の名言

●今日の『名言』

橋場秀俊氏
 「酒道、それは酒を知り、己を知ること。この年になって大切に感じる。」


ホスト/安藤州平
 「食文化の頂点に酒がある。室町時代に成立した日本料理を知ることが日本酒を知るということ。」

2005/04/01

 さて、彼の仕事場あたりはさすがに春が近いらしく暖かい。が、標高900m弱の我がアトリエは少々状況が異なる。薪ストーブを焚き、今日の辞令について彼に聞いてみると「三重苦」とのこと。
 「ヘレン・ケラーか?!」といってお互い笑うが、どうやら冗談ではなさそうだ。10年ほど前に真田町振興公社にプロパーとして転職した彼には、部下がいない。彼以降プロパーの採用がなく、本庁から派遣される職員は年下であろうが全て彼より上の役職で、しかも2〜3年で猫の目のように変わっていく。最近では、本庁の天下り先と化しているようで、「平」でありながら「係長」、面倒くさい合併を見越して現場の担当となる「事務局次長」という役職を本日の辞令で授かり、なんの決裁権もなく、部下もいない中間管理職となったようである。聞けば聞くほど情けない組織で、たしかに彼は今後「三重苦」の中に放たれるようである。
 更に驚くことは、上田市と丸子町、武石村との合併を間ぢかに控えながらも、各市町村の振興公社の整理・合併が協議されていないという。こんなときに「事務局次長」とは、何とも恐ろしい限りと我輩は思うのだが、橋場氏よ大丈夫か。
 まあ悲観ばかりしていても仕方がないので、酒談義となる。
 橋場氏は江戸の魚河岸の息子、しかもサラリーマン時代、各地の美味しいモノで鍛えた酒呑み。我輩も、全国を食べ呑み歩いてきた呑み助で、酒を呑む時は2人ともなかなかうるさい。佃煮は江戸の老舗、そのルーツの京都、上方のモノを厳選し、常に置いてある。信州の佃煮となれば諏訪の「えびす屋」しか口にしない。肴の基準が決まっているのである。「この酒にはこの肴」ではなく、「この肴に合う酒はどれか?」、「合わせるにはどのくらいの燗をするか」なのである。また、陶器と磁器、木盃、筒型、高盃、平盃でも酒の味が変わる。これは古くから実証されてきたことで、我々はこの辺が実にうるさい。
 橋場氏曰く「海のある国の酒は、キレがいい。新鮮な魚を肴にするからだ」。同感である。議論の中で、信州の酒はいくら旨い酒でも「甘味系」が多いのではないかと気がつく。どうやら「山菜、味噌、川魚」を肴に育まれてきたせいではないのだろうかと推論する。
 信州の酒は基本ベースが「甘味系」なので、吟醸、大吟醸などの様々な造りで「サラッ」とした酒を目指しているのではないかと勘ぐってしまう。実際、冷やした生原を呑んでいても、酌み交わしている間に温度変化し、甘味系の酒に化けたりする銘柄が多い。味がぶれるのはよほど繊細な酒か、醸造技術が少々未熟ということではないか…との話になる。
 昨今の呑み屋とそこで見る若者について話題が移る。橋場氏が「マニュアル時代になって久しいが、もっと文化的に呑めないのだろうか」と嘆く。当たり前になったコップ酒、冷酒ばかりの温度調節、この肴にはこの酒という押し付け的なメニュー等々、挙げれば限りがない。
 足利末期に起った「酒道」は、香道・茶道・華道、弓道などと同じで、技を通じて人を磨く「道」だったのである。酒道はすぐ廃れてしまったが、今日、その酒道を復興させる必要があるのではないか。
 一方、その昔、庶民は自由に酒を呑めず、祭りのあと直会(なおらい)に振舞われた酒をこの時とばかりあおって、泥酔するまで呑んでいた。祭りは暦であり四季の暮らしそのもの。酒ごよみがあるのだ。
 橋場氏と一杯やりながら、正しき酒談義で盛り上がる。「正しき酒談義」とは、「商業主義との結託を峻拒し、それぞれの人生経験の智恵によって酒を楽しむこと」、「酒を知り、己を知る」。酒道を軽んずる大問題から小問題まで一刀両断。
 旨い酒を飲むときの定番、神奈川県三浦市の「マグロの佃煮」、上方の老舗佃煮屋の「塩昆布」と「縮緬山椒」を古伊万里の皿に盛り、明治期の印判手の小皿を取り皿に席をセット。ぐい呑みは南木曽の生地師・小椋榮一氏作の黒柿と飯田・尾林焼の水野英男氏のものを用意する。
 最高の「肴」と「ぐい呑み」は酒の良し悪しを明白にするので、福岡県三潴町の「杜の蔵・特別純米酒・槽汲み」と「佐久の花・山廃本醸造・無濾過生原酒」を呑み比べてみた。